本当の自分を知りたい全ての人へ
今日の神戸は朝から晴天でしたが、時おり突風が吹く肌寒い1日でした。台風の影響かもしれませんね。秋らしい気候のなか歩いていると、季節外れのバラを見つけました。
今の時期でも咲くバラがあるのかわかりませんが、春のころのように美しい花を見せてくれていました。台風が近づいていますので、今日は数日外出しなくてもいいような買い物をしてきました。でも両手に荷物を抱えて帰ってきましたので、少し疲れました〜〜
さて、昨晩読書しているとき、とても素敵な言葉に出会いました。どうしてもシェアしたくなったので、今日はその文章を書かせていただきます。少し難解かもしれませんが、本当の自分を求めている人の心には響くものだと思います。
そして全く意味不明で何も感じなかった方。本当の自分を発見することは、全ての人間が必ず通過する道です。いつかこの文章に何かを感じることがあると思いますので、心の片隅に置いていただけたら幸いです。
〜『無境界』ケン・ウィルバー著 より
わたしには体がある。しかし、わたしは体ではない。わたしは体を見たり、感じたりすることはできる。しかし、見たり、感じたりされる対象は、見ているものではない。わたしは体が疲れたり、興奮したり、病気になったり、元気になったり、重かったり、軽く感じたりする。しかし、それはわたしの内なるわたしではない。わたしには体がある。しかし、わたしは体ではない。
わたしには望みがある。しかし、わたしは、わたしの望みではない。わたしは自分の望みを知ることができるが、しかし、そのように知られる対象は、知るものではない。望みは、起こっては消えていく。それはわたしの意識のなかを漂っている。しかし、それは内なるわたしに関係ない。わたしには望みがあるが、わたしは、わたしの望みではない。
わたしには感情がある。しかしわたしはわたしの感情ではない。わたしは自分の感情を感じたり、気が付いたりするが、感じられたり、気が付かれる対象は、気が付くものではない。感情は、わたしを通り過ぎていく。しかしそれは、内なるわたしに影響しない。わたしには感情があるが、わたしは感情ではない。
わたしには思考がある。しかし、わたしは思考ではない。わたしは自分の思考を知り、直観したりするが、そのように知られるものは、知るものではない。思考は、やってきては、去っていく。しかしそれはわたしの内なるわたしに影響しない。わたしには、思考があるが、わたしは思考ではない。
わたしは以上のどれでもなく、それらすべてがなくなっても残るものである。わたしとは、意識の中心、すべての思考、感情、感覚、望みを見守る、不動の「目撃者」である。
〜以上抜粋
ケン・ウィルバーが言うこの「目撃者」を見出だすことは、まだ最初の段階とのこと。統一された意識、つまりワンネス意識では、目撃者は、すべての目撃されるものと一つになります。主体と客体の分離がなくなることですね。そのためには、まず「目撃者」を発見しなければならないと述べています。
この言葉を何度も繰り返して、いつも意識できるようにしようと思っています。この言葉が、誰かの心に響くことを願っています。
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