臨死体験と体外離脱
ひたひたと台風の足音が聞こえてきそうな神戸の空です。先ほど淡路島に波浪警報が出たようですから、今夜あたりから神戸も本格的な雨と風になりそうですね。普段なら明日は買い物&散歩デーなのですが、引きこもりできるように珍しく食糧を備蓄していま〜す
食糧はいいのですが、本がもっと欲しい〜〜〜!
昨日図書館で借りてきた本は先ほど読んでしまいました。最近は本を「飲み物」扱いの勢いで読破していますので、全体量が不足しています。仕方ないので、今夜は手持ちの本を引っ張り出して活字を追いかけたいと思います。
さて先ほど読了した本ですが、なかなか面白かったので紹介させていただきます。
『「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み』木内鶴彦 著という本です。
タイトルを見て面白そうなので借りてみました。臨死体験と私が体験している体外離脱は、よく混同して理解されている方が多いように思います。肉体の束縛から離れるという意味では同質のものですが、実は似て非なるものだと考えています。私は体外離脱を500回近く経験していても、臨死体験の経験はありませんけれどね〜
あくまでも私見ですが、体外離脱は意識の転移です。人間はこの現実世界だけを唯一の活動場所として生きているのではなく、多次元的な存在です。現在コラボ企画でテーマにしている「パラレルワールド」を含めますと、無限大の自分が存在していると考えられます。
体外離脱は現在の自分の意識を維持したまま、無限大に存在する「現在以外」の自分の意識に同期する現象です。だから、自宅のベッドから身体を抜け出しても、そこに見える世界が微妙に違っていたりします。リアルであることに変わりはありませんが。
ところが臨死体験は自分が日常的に暮らしている肉体からの、完全な離脱を伴っています。そういう意味では文字通り「死」を体験しているわけで、非物質の意識に見えるのは自分が今まで存在していた世界です。それだけに生と死という人間の根源的な問題を、直接的に、強烈に体験するのだと想像します。
著者は二度も臨死体験をされていますが、読み始めたときは少しガッカリしました。トンネル、亡くなった親戚、お花畑というベタな展開だったからです。しかし、著者自身が述べているようにそれは第一次臨死体験であって、いわゆる脳内現象の可能性があるとのことです。
面白かったのは第二次臨死体験という次のステップでして、現在の世界に証拠を残したり、過去や未来に旅立って痕跡を残す事に成功されています。そしてワンネス意識という状態も体験されているようです。途中で読むのをやめようと思いましたが、第二次臨死体験が興味深くて最後まで読むことができました。
臨死体験にもとづいて、宇宙に成り立ちや地球の生成、生命の進化についても言及されていますので、読み物としても面白いと思います。でも、私にはどうしても違和感を持ってしまう内容もありました。
未来を見てこられたのですが、「良い未来」と「悪い未来」があったと書かれています。「悪い未来」は廃虚になった地球で大勢の人が亡くなったり傷ついたりして、そこを著者が彷徨っている未来だったそうです。だから、そんな未来を具現化しないようにと警告されています。
私は人類が滅亡するかもしれないから、ああしよう、こうしようという発想は好きではありません。それは「善意の恐怖」であって、怖れにもとづいた行動だと思います。良い悪いはその人の判断であって、廃虚の未来から人類がかけがえのない経験を学ぶかもしれません。何が良くて、何が悪いなんて、決めつけることには同意できません。
臨死体験でも体外離脱でも、そこで経験したことは記憶でしかありません。人生を歩むうえでの参考になるかもしれませんが、記憶という過去を絶対的指針として重視するのはどうかと感じました。とても乱暴な意見ですが、滅亡する人類ならそれで仕方ないと思っています。
起きてほしくない現実にフォーカスして「今」を生きるより、「今、ここ」の自分を精一杯生きていきたいというのが私の考えです。そうすることで未来を自分にとっての、「今、ここ」として迎えることができると思っています。未来への不安を動機して動くのではなく、「今、ここ」を平和であることに全力を注ぎたいと願っています。ありゃ、長くなっちゃった〜〜
羽座間健児さんとのコラボ企画『マルチエンディングの小説トレイン』は連載開始しています。こちらからどうぞ。
『夢で会える 体外離脱入門』は在庫僅少ですので、お求めの方はハート出版さんや書店に問い合わせてください。Amazonでの注文はこちらです。
『ゼロの物語』3部作は電子書籍のみの販売となりますので、こちらのホームページから販売サイトに行ってくださいね。