飛ぶことを支えた夢の世界
今日は2月22日で猫の日です。過去に我が家のミューナにいろいろプレゼントをあげたこともありますが、喜ぶのはいつものかつお節だったりレジ袋で作ったオモチャです。彼にとっては毎日が猫の日ですから、あえて何も必要ないようですね。暖かい場所でぐっすりおやすみ中です。
朝から雲が多く、時々雨が降る1日でした。気温は高いのでしょうが、何となく肌寒く感じます。昨日は春のような陽気だったのですけれどね。
昨日の散歩中に見つけた花です。今日は少し肌寒く感じているかもしれませんね。
さて今日は先日放送されて録画しておいた『風立ちぬ』を観ました。ジブリの宮崎駿監督の、最後の長編アニメと言われている作品です。
興行的には成功して、海外での評価も高かったのかな? でも私はイマイチ感情移入できませんでした。その理由は主人公が堀越二郎と小説家の堀辰雄の二人の人生が織り交ぜられたものだからです。零戦を設計した堀越二郎さんの妻は違う名前ですし、当然ながら結核で亡くなってはいません。その部分は堀辰雄さんの人生から引き出されたものですものね。
でも主人公が堀越二郎という実在の人物である限り、その人の人生として映画を観てしまいます。だからどうしても妻とのやり取りにしらけている自分がいました。全く架空の人物としての主人公ならば、もっと感情移入できただろうと思います。何も知らずに映画を観た人は、堀越さんの人生を描いたものだと思ってしまうかもしれませんね。『風立ちぬ』という堀辰雄さんの短編小説を私は先に読んでいますから、余計にそのように感じたのかもしれません。
このアニメを観ていて思い出したのは『永遠の0』での宮部久蔵のセリフです。「私はこの飛行機を作った人を恨みます」というセリフでした。
零戦は軽くて小回りが効くうえに、当時の戦闘機としては常識を覆すほどの航続距離を誇っていたそうです。それゆえ緊張しながら往復8時間以上も操縦をしつつ戦闘もしなくてはならないという、パイロットにとっては地獄の苦しみを可能にする戦闘機だったそうです。
さらに重量の問題があるでのしょうが防御版が作られておらず、操縦席を銃撃されるとパイロットはひとたまりもなかったとか……。この防御版がないことを、実際の堀越さんも認識されていたとのこと。アメリカの戦闘機などはパイロットの命を保護するために、かなり分厚い防御版が取り付けられていたそうです。
海軍の命令といはいえ実際にその戦闘機を設計した人の物語を観ながら、宮部のセリフを思い出していました。当然「風立ちぬ』でも、その後の零戦の悲劇を示唆する映像は流れていました。不思議なもので、同じタイミングでそうした映画って観るものですね。
それにしても相変わらず映像の緻密さには驚かされます。建物等の質感まで感じますからね。冒頭の関東大震災のシーンも、そのリアルな描写に鳥肌が立ちました。さすが宮崎さんですね。
私がこの映画で最も気に入ったのが、主人公の堀越が子供の頃から夢の世界に遊んでいたことです。夢からインスピレーションを受け取り、夢の世界を通じてその発想を深めている様子に共感を持ちました。近眼でパイロットになることができない堀越少年の「飛ぶこと」を支えたのが、夢の世界でした。
夢の世界で有名な飛行機製作者であるカプローニと堀越さんがやり取りするシーンはいいですね。
「私の夢の世界に入り込んできたね」と堀越少年に話すカプローニの雰囲気が大好きです。私が明晰夢で体験する世界観とよく似ていますので、夢を自分の創造の源としていた主人公に好感を持ちました。実在の人物を描きながらも、ファンタジーを感じさせてくれる映画だったと思います。
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