私が必死で桜を見る理由
少し季節が逆戻りです。午前中には雪っぽい雨粒の集団が、六甲おろしにあおられて波状にうねって降りてきました。青空が多いのですが、基本的に冬型の天気ですね。つぼみが開きかけた桜の花も、寒さに驚いているかもしれません。
昨日の散歩中に撮影した椿です。赤と白の混ざり合い具合がいいですね。暖かくなるのはもう少し待ってよ〜と言っているように見えます。きっと今日くらいの気温だと、この椿は心地よく感じるのでしょう。
今日は引きこもりでいろいろな作業を淡々とこなしていました。明日くらいまでは寒気の影響が残るそうですから、着ていくものに気をつけてなくてはいけませんね。それでも3月は残り一週間。来週の水曜日はもう4月です。
神戸も間もなく桜の開花宣言が出るでしょう。そうなったら私は大忙しです。歩いていける範囲でもたくさんの桜の名所があります。さらに電車で少し足を伸ばせば、豪華絢爛な桜の花を堪能することのできる場所がいくつもあります。昨年と同じように、大好きな福井の桜も楽しむ予定をしています。
桜の時期は意外に短いですから、毎年時間を惜しんで必死で巡っています。私が毎年、なぜ必死で桜を見ようとしているのか?
以前から私のブログを読んでくださっている方は、よくご存知だと思います。
神戸に引っ越してからのことですが、ある明晰夢を見ました。小さな平屋の山小屋のような場所に、私の人生の設計図が置いてあったのです。そこに私がこの世を去る時期、つまり死ぬ日付が書かれていました。
「◯◯年4月◯◯日」
明晰夢を見たときは◯◯の数字を把握していたのですが、目が覚めたら記憶からすっ飛んでいました。おそらく顕在意識が受け取りを拒否したのだと思います。でも4月という文字だけはクッキリと記憶しています。
だから4月は私にとって自分の命を意識する月です。決してネガティヴに捉えているわけでも、気にして落ち込んでいるわけでもありません。人間は遅かれ早かれ、いつかは死ぬのですから。本当はその年も日付も知りたかったのですが、覚えていないので仕方ありません。
関西の桜は3月の下旬に開花して、4月の上旬には散り始めます。もしその◯◯の日付が4月1日なら、満開の桜を見逃すかもしれません。10日なら神戸の桜を見ることができても、大好きな福井の桜には間に合いません。そんなふうに思うと、出切る限り時間を調節して、少しでも多くの桜を見ておこうと思ってしまうのです。
この時期になると「あと何回桜の花を見ることができるだろう」という言葉をネットでよく目にします。今朝も脳科学者の茂木さんがこの言葉をツイートされていました。確かに年齢を重ねてくると、そうしたことを思いがちですね。
でも現実的な話をすると、それは1歳の赤ん坊でも、100歳のお年寄りでも同じことです。今年見る桜が最後になることは、誰にでも起こりうる現実です。どれだけ目を背けても、その事実は変わりません。
だから私は「必死」で桜を見るのです。この「必死」は一生懸命という意味ではありません。人間は誰でも「必ず死を迎える」という意味で使っています。死を意識して生きる。今日が最後の日だと思って、全力で生きる。1年を通じてそのことが実行できれば理想です。
でもなかなか難しいことですよね。ついつい忘れて怠惰な1日を過ごしたりして、自己嫌悪になることもあります。だからこそ4月というのは、私にとって大切な月です。常に緊張感を持ちドキドキを感じながら、「今、ここ」に生きる練習を積むことができます。さて、今年もお腹いっぱい桜を見るぞ〜〜!
『夢で会える 体外離脱入門』は在庫僅少ですので、お求めの方はハート出版さんや書店に問い合わせてください。Amazonでの注文はこちらです。
『ゼロの物語』3部作は電子書籍のみの販売となりますので、こちらのホームページから販売サイトに行ってくださいね。