神意と狂気の隙間
今って何月でしたっけ?
異常な寒さと降り続ける雨。神戸の桜が満開だったのが、遠い昔のように感じます。厚手の上着をしまおうかと最近まで思っていましたが、今日はしっかりその上着を着込んで外出しました。それでもちょうどいいくらいの寒さで、妻なんか手袋を出していましたからね〜。
そんな天気ですが、今日はリュックを背負って買い物です。先日のドライブの帰りに予定していた「重い」物が買えなかったので、本降りの雨に負けずに気合を入れて歩きました。ヒッチハイクで徳島まで案内したドイツのニーナさんは、きっと今日も旅を続けているのでしょう。思い出多い日本旅行になるといいなぁ。そんなことを思いながら、荷物を背負って自宅までの坂道を登ってきました。
さてお花見でちょっと読書のペースが落ちていますが、再びペースを上げています。昨日も一冊読了しました。
『吉田松陰』山岡荘八 著という本です。先日ブログで紹介した本の第2巻です。
大河ドラマの『花燃ゆ』の影響で吉田松陰を追いかけています。小説や松蔭自身の著作を含めて、いくつかの本を読みました。もう一冊『留魂録』という、松蔭の遺書にあたる本を図書館で予約しています。
この本を読了して、ようやく吉田松陰の人生のおおよそを理解することができました。あくまでも表面的なものでしょうが、私なりにイメージを持つことができました。幕末の思想家として名を残す松蔭ですが、天才であるがゆえ、他人に理解されない「何か」を抱えていたように思います。
その「何か」は、松蔭にとっては神意だったと思います。自分が生を受けて為すべきことを、使命として自覚していたのでしょう。それゆえに、自分の命を省みることなく突き進んだのだと思います。
しかしその同じ「何か」は、周囲の人間にとっては狂気に見えたと思います。ちょうど先週の大河ドラマでも、その松蔭の狂気が描かれていました。「老中を暗殺すべし!」という塾生に対する喚起は、一般的に見れば常軌を逸しています。しかし松蔭にとって、それは止むに止まれない神意からほとばしり出たものなのでしょう。神意と狂気の隙間は、おそらく想像以上に薄いものだと思います。
安政の大獄で幕府から尋問を受けた時、余計なことを話さなければ無罪になっていました。しかし自分から「死罪に値する罪がある」と語ります。それはその時代の幕府の政治と日本の行く末を案じるあまりに出たものです。郎中の暗殺や倒幕を意識せざるを得ないほど、世情が切迫していることを伝えたかったのでしょう。やはりソクラテスと同じですね。
江戸に連行される松蔭は、母親の滝に「必ず戻る」と約束します。しかし処刑されてしまうのですが、息子はその約束を果たした、と母親の滝が語っていたという記録があります。
処刑当日は、江戸にいた長州家老の周布政之助でさえ処刑後にその事実を知りました。ましてや長州にいる母が知るはずありません。その日の昼間、農作業をおえてウトウトしていた母親の夢に松蔭が元気な笑顔で現れたそうです。ちょうど処刑された時間帯でした。そして同じように眠っていた父親も夢を見たそうです。
自分が首を切り落とされる夢だったそうです。バサリ!と首を切り落とされた瞬間、「あぁ、首を切られるのは、こんなに爽快で心地いいのか!」と思ったそうです。きっと処刑された松蔭の心をそのまま父親の杉百合之助が体験したのだと思います。自分が苦しんでいないことを父に伝えたかったのでしょう。
もし私が「神意」を受け取った時、命をかけてまでそれを遂行できるであろうか? 今の私にはわかりません。しかしそのことを日々問い続けてみたいと思っています。
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