人間にとって、本当に必要なもの
春の大掃除を始めてから晴天続きですので、とても助かっています。今日も「オオモノ」を片付けましたので、どうやら先が見えてきました。順調に行けば、次の日曜日前後にフィニッシュを迎えられそうです。もうその時は5月ですけれどね。
5月と言えばバラですね。昨日の写真ですが、散歩していると綺麗なバラの花が目につくようになってきました。
この黄色いバラも美しい! 神戸の須磨離宮公園という場所には、広大なバラ園があります。初めて行った時は、あまりの迫力に呆然とするほどの美しさでした。昨年は行くことができなかったので、今年はぜひバラたちに会いに行きたいと思っています。
バラが咲く素敵な季節ですが、悲しいニュースばかりが目に付きます。ネパールの大地震では、1万人を超える死者が出そうだとのこと。各国の救援隊が向かっています。募金も開始されていますね。私たちができる範囲のことで、何か力になれたらと思っています。
アメリカのメリーランド州にあるボルティモアでは暴動が起きています。私が大好きな映画である『ヘアスプレー』の舞台となった場所ですが、この映画でも人種差別が取り上げられていました。
シリアのISが、昨年に2,000人を超える人たちを処刑したとのニュースも見ました。事実だとしたらとんでもないことです。麻薬密輸容疑だとはいえ、インドネシアでは8人の外国人が処刑されたというニュースもありました。殺伐とした情報ばかりです。とても悲しくなります。
自分の外面に起きる出来事は、自分の内面が反映されたものだと言われています。そして私はそう思います。だとしたら、これらの出来事は私の内面にある「何」を見せようとしているのでしょうか? 大掃除をしながらも、そのことを考えていました。簡単に答えの出ない問いなのですが……。
こうした出来事を見ると、いつも思うことがあります。
生きるか死ぬかという極限に追い込まれた人間にとって、本当に必要なものは何だろうか、ということです。
平和に暮らしている時、人間は自分という存在を証明するたくさんの肩書きを大切にしています。キリスト教徒、イスラム教徒、資本主義、共産主義、保守主義、リベラル主義等、数え切れないほどの宗教的、経済的、あるいは政治的なイデオロギーに囲まれています。
あるいは同性愛者、愛国者、原発推進派や反対派、科学信奉者、スピリチュアル信奉者、ベジタリアン、起業家や労働者等、こちらも数え切れないほどの考え方があります。それぞれの考え方が尊重されるべきであって、何が正しいとか間違っているとは簡単に言えないと思います。
普段は自分の信じることを主張し、議論して意見を交わすことができるでしょう。しかし「生きる」という究極的な命題を目の当たりにした時、果たしてそれらは必要なものでしょうか? 食べ物も眠る場所もなく、自分の家族を抱えてさまよっている時、何か役にたつ概念がそこにあるのでしょうか? 私は疑問に思います。
もしそんな状況であって、私はクリスチャン以外の人間は助けないなどと言う人がいるでしょうか? 自分の子供が飢えて死にそうなのに、ジャンクフードは食べさせないと配給された食事を拒否する親がいるでしょうか? 虫の息で倒れている人に対して、あの人は前世の報いを受けているのだと言うでしょうか?
そんなことになれば、さらなる悲劇が増えるだけです。自分の今まで信じきた概念なんかどうでもいい。目の前の人を何とかして助けよう、自分を犠牲にしてでも、家族を守ろうとするのが人間の本質だと思います。私はそう信じたい。
「生きる」ということだけを見つめる究極的な状況に置かれた時、人間にとって必要なものは『他者を思いやる心』ではないでしょうか。今まで培ってきた主義主張なんてどうでもいいです。目の前の命を救うことに全力を尽くすことが大切なのではないでしょうか。
もしかしたら私たちに必要なものは、『他者を思いやる心』だけなのではないかと思います。それ以外に身につけた概念は、いつか手放すものではないかと。本当は必要ないものではないのかと考えてしまいます。かなりの極論だということはわかっています。でもこういったニュースを見ると、いつも考えてしまうことです。
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