善があるから悪がある
昨晩は予報通りの雨。一時的にですが、窓に吹き付ける激しい音が聞こえるほどの雨でした。でも朝にはすっかり晴れて、気持ちのいい秋晴れの1日でした。
散歩中に見つけたバラの花です。自然の造形美にはいつも感動させられます。もちろん植物だけではありませんよ。
撮影できませんでしたが、このバラのすぐ近くで生後2か月くらいの子猫を発見。宇宙はこれだけ可愛い生き物をよく創造したよな、と感心するほどの愛らしさです。すぐに隠れたので、親猫が近くにいるのでしょう。これから寒くなるので、無事に冬を乗り切って欲しいですね。
昨晩読了した本の紹介です。
『英雄の書 下巻』宮部みゆき 著という本です。
上巻に引き続き一気に下巻を読了しました。素晴らしいファンタジーでした。そして心に様々な想いが残る作品でした。
決してハッピーエンドの物語ではありません。兄を助けるために異界に向かった11歳の友里子は、現実世界に兄を連れ戻すことができませんでした。それでも罪の意識に苛まれている兄の魂を癒すことには成功します。でもその結果を受け入れざるを得ない、と読者が納得できる構成になっています。
私が最も共感したのは、善と悪が表裏一体であり、不可分である、という著者の解釈です。
多くの物語には英雄が登場します。それは光であり善でもあります。ところが同時にそれは闇でもあり悪でもある。光が強くなればなるほど、闇が濃くなります。闇が闇であるためには、光が必要です。光が存在せず全てが闇ならば、そこが闇であることに気づくことができません。これは私が考えていることと同じです。
逆に光にとっては、闇があるからこそ光でいることができる。これは現実世界における、善悪の概念を象徴しています。何かが善であると規定されたなら、それに反する別の何かは悪と決めつけられます。
友里子の兄はいじめを受けていた女生徒を助けるために立ち上がります。この行動は光であり善と言えるかもしれません。
兄はその結果、いじめを行っていた生徒を殺してしまいます。これは闇であり悪かもしれません。
でもそうした判断でいいのでしょうか? 善とは、そして悪とは何でしょうか?
他人に優しくすることは絶対的な善だと言えます。それは子供の頃から親たちに教えられることです。そして他人に怪我をさせたり命を奪うことは、絶対的な悪だと言えます。誰もが異論を持つことのない概念だと思います。
でも本当にそうなのでしょうか? そのように決めつけてしまっていいのでしょうか?
伊坂幸太郎さんの小説を思い出しました。未来を知ることのできる少年は、この先に殺人を犯す人間がわかります。彼は殺人者に対して憤りを感じています。義憤と言っていいでしょう。それは善の意識かもしれない。
しかし彼が取った行動は、その人物が殺人を犯す前に殺すことでした。これは明らかに正しいことではありません。今朝の私のブログで取り上げたように、赤ん坊のヒトラーを殺すのと同じです。善のために悪をなすことは、果たして善なのか悪なのか?
全てが二元化しているこの世界で、その答えを求めることは困難なのでしょう。二元化の象徴である『自我』にとって、二元化でないものを認識することはできません。この問題の答えに至るには、二元化でない意識からしか到達できないはずです。私たちの人生は、その答えを求めることにあるのだと思います。
こんなことを考えさせてくれた、素晴らしい小説でした。
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