納得できない童話って多い
昨日は京都まで出かけていましたが、今日は予定どおりの引きこもり。天気がいいので布団を干せましたし、サボちゃんもたっぷり日光浴させることができました。
今日のサボちゃんです。今年の4月で種から植えて丸3年になります。昨年の7月4日に、二人一緒だったのを植え替えて、この写真のような状態になりました。ちょうど植え替えてから7ヶ月ですから、順調に根を張ってくれたようです。
冷えそうな夜のために、一晩中暖かく過ごせる場所を用意しています。サボテンにとっては辛い冬ですが、今年も冬を無事に越してくれるでしょう。今日は立春ですから、暦の上ではもう春です。新しい年度が始まる気分ですね。
ということで気持ちよく新年を過ごせるよう、今日は朝から台所の排水溝掃除をしました。たまった汚れをきれいに落とすと、自分の意識の汚れも流れていくように感じます。本当に掃除は気持ちがいい。
さて、2月に入ってから『妖精からの招待状』のリノベーションに入っています。のっけから大幅に変更していますし、ブログでは書いていなかったプロローグも追加する予定です。しばらくは妖精や死神たちとのやりとりが続きそうです。
妖精が登場するので、強いてジャンル分けすればファンタジーですね。先ほど妻とそうしたファンタジー的な物語について話している時、子供の頃に読んだ童話について思い出しました。
父が本を好きだった影響か、私も子供の頃からよく本を読みました。今と同じように図書館に通っては、児童書を次から次に読んでいました。様々な物語を読んでいますが、やっぱり有名な童話は今でも憶えています。
ところがちょっと天邪鬼な私。どうもストレートに感動できない物語がいくつかありました。子供心に、どうしても納得できない、と感じることが多々ありました。こんな物語を子供に読ませて、大人は何を考えているのだろう、と真剣に悩んだことがあります。
いくつか例をあげてみましょう。
『フランダースの犬』はアニメにもなりました。この物語、子供はどう感じるのかな?
だって主人公のネロも犬のパトラッシュも、大聖堂でルーベンスの絵を見ながら死んでしまうわけです。絵の才能があるにもかかわらず、散々な酷い仕打ちを受けて惨めに死んでいきます。アニメでは幸せそうに天国に行きますが、それって人生は地獄だと言っているようなものじゃありませんか。死んだほうがマシだと言われている気分です。この結末に、子供の私は納得ができませんでした。
人生は厳しい、と大人は教えたいのでしょうか? そんなこと教えてもらわなくても、人生が厳しいことは生きていればわかります。もっと夢や希望を持たせてくれる物語のほうが、読んでいて有意義だと思うのですが。
悲惨といえば『マッチ売りの少女』もそうですよね。寒さとひもじさに耐えながら、売っているマッチを燃やしていく。その火のなかには、幸せな世界が見える。あぁ、こんな素敵な生活がしたい。そう思いながら最後のマッチの火が消えた時、少女は息絶えます。
これは子供にとってホラーです。
子供の時、この物語を知って愕然としました。ここから何を学べ、というのでしょう。いまだに意味不明です。
ぱっと見は明るい話の『みにくいアヒルの子』。自分がアヒルだと思っているのに、仲間たちは冷たい。いわゆるいじめですよね。見た目が違うから、排除されるわけです。
ところが自分の本当の姿は白鳥だった。みにくいはずの俺は、美しい白鳥だったんだ、と感動のラストを迎えます。めでたし、めでたし。
でも子供の頃の私は、自分が白鳥だと知った瞬間の主人公が、上から目線に見えました。
俺を散々いじめてきたけれど、俺はお前たちアヒルとは違って美しい
白鳥なんだぞ。どうだ思い知ったか。アヒルどもめ!
という声が聞こえてくるのです。これってリベンジの物語?と感じていました。白鳥であることが幸せで、アヒルであることが不幸のように感じる。子供心にそれは違う、と感じました。
幸せという概念の押し付けです。素敵な王子様と結ばれることが幸せ。じゃぁ、庶民は不幸なのか? 童話を読んでいるとそんなことを感じるのです。私が変人なのでしょうが、どうも納得できな童話って多いような気がするのですけれどね〜〜!
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