結末における「死」への必然性
昨日は蒸し暑さが残っていた神戸ですが、昨晩から強い季節風が吹き始めました。今日は窓から吹き込む風が乾燥していて、冷たさを感じます。今夜あたりからはグッと冷え込むようです。
わたしは皇室フリークではありません。でも三笠宮殿下の訃報を聞いて、ちょっぴり寂しい気持ちになりました。皇室を支える人たちが減っていくなぁという、残念な思いでした。そしてついに昭和が終わったなぁ、としみじみ感じています。
100歳の大往生ですから、ある意味人生をまっとうされたのでしょう。でも太平洋戦争という暗く悲しい時代に、昭和天皇の弟として関わってこられたわけですから、口にできないことは心に山ほど持っておられたと思います。
たった100年足らず前のことでも、わたしたちが事実として知っていること以外に、秘密にされていることが数え切れないほどあるはずです。一般的な歴史というものは、明確にされた事実に基づいた推測の積み重ねだと言っても過言ではありません。語られない多くの出来事のなかに、永遠に葬り去られた秘密があるはずです。そうしたものをいくつかを抱えたまま、三笠宮殿下は旅立たれたのだと思います。
さて、先日に観た映画です。
『グラン・トリノ』という2008年のアメリカ映画です。クリント・イーストウッドが主演と監督をつとめています。俳優として出演する最後の映画だと宣言した作品ですね。でも2012年には『人生の特等席』という映画に出演しているので、これが最後ではなかったようです。
クリント・イーストウッドは、ウォルトという頑固ジジイを演じています。妻を亡くして一人暮らしですが、二人の息子や孫たちともうまくやっていくことができず、愛犬と二人で古くからの友人に囲まれたデトロイトで暮らしています。
ところが隣に越してきた中国のモン族の一家と関わりを持つようになります。少年のタオとその姉のスーをギャングから助けたことで、少しずつ心を開いていくようになります。やがてタオに働くことの意義を教え、彼の人生を支えようとします。ところが逆恨みをしたギャングがタオの家に銃弾を浴びせかけたり、姉のスーをレイプするという行動に出ます。このままではタオは殺されるかギャングになるかしかありません。そこでウォルトはあることを決意します。そして隣のタオ一家を守ったという物語です。
わたしが映画や小説で最も嫌いな結末は、「死」をもって問題を解決するというパターンです。SF映画などではよく使われます。例えば『インデペンデンス・デイ』や『アルマゲドン』などでは、主人公クラスの人物が自分の命を犠牲にすることで地球を救います。途中まで面白い映画でも、最後がそれですと感情移入できません。むしろ白けてしまいます。
「死」は感動をもたらすかもしれませんが、わたしは生きることに心を動かされます。生きることは困難で辛く苦しいからこそ、向き合っていく主人公の姿に感動します。だから安直に主人公を死なせたくありません。
実はこの映画は、主人公のウォルトの「死」をもって問題を解決します。でもこの映画に関しては、とても納得できる内容になっていました。「死」に至る必然性に違和感を抱きませんでした。だからとても素晴らしい映画になっていたと思います。
ウォルトはすでに身体を病んでいました。映画では明確にされていませんが、余命いくばくもない状態です。朝鮮戦争に兵士として参加して人を殺したことで、自らの狂気に怯え、強烈な罪悪感を抱えています。神父に何度も懺悔を勧められても断っていたのは、教会で告白した程度ではその罪悪感が消えなかったからでしょう。
どうせ病で死ぬ命なら、タオたちのために使いたい。そしてそれは、戦争で自分が殺めた人たちに対する贖罪の気持ちでもあったはずです。目撃者が大勢いる状況をわざと作り出し、ギャングたちに殺されることでタオ一家を守ります。ギャングたちは殺人容疑で刑務所行きとなりました。
その後のラストシーンは予想できましたが、とても嬉しかったです。『グラン・トリノ』というフォードの名車をウォルトは所有していました。孫たちはウォルトが死んだら、その車をもらえることを心待ちにしています。しかしウォルトは遺言を残し、『グラン・トリノ』はタオに譲ると明言します。とっても素敵でかっこいい、頑固ジジイの物語でした。
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