真実って、必要?
6月も後半に入ったけれど、今日も気持ちいい空気のなかで過ごすことができた。今月中にやるべき仕事の進捗状況がやばい雰囲気だったけれど、快適な気候のおかげで予定どおりに進みそう。このままの気分で今年の後半を迎えたいと願っている。
さて映画や小説に接していて、最初しか味わえない感動がある。特に驚くべき事実が隠されている作品の場合、「えっ、うそ」という驚きを経験できるのは最初だけ。
代表的な映画では『シックス・センス』かな。これはマジで驚いた。まさか主人公が幽霊だとは思わなかった。同じタイプとして、アン・ハサウェイが主演した『パッセンジャー』という映画もある。これも彼女が実は死んでいた、という設定になっている。
逆のパターンで言えば、最初から犯人や衝撃的な事実が明かされている作品もある。知っているのは映画の観客や小説の読者だけで、物語の登場人物はそれを知らない。主人公たちがその事実に行き着くのを楽しむという作品もある。このパターンの映画や小説も、数え上げたらキリがない。
ボクはどちらのパターンも好きだ。それぞれに独自の魅力がある。だけど観客、あるいは読者という立場でいえば、前者の作品のほうがより好きかもしれない。なぜなら何度も作品と触れ合える楽しみがあるから。
驚くのは最初の1回だけだけれど、2度目はからは先ほどの例でいえば後者の感覚で楽しめる。つまり知っているがゆえに、それまで見えていなかったものを発見したりする。その物語に対する映画監督の意図や、著者の仕掛けを見つけると、かなりうれしくなる。
そんな複数回の楽しみが持てる映画を久しぶりに観た。
『オブリビオン』という2013年のアメリカ映画。写真のとおり、主演はトム・クルーズ。
おそらく3〜4回目だと思うけれど、何度観ても面白い。もちろん衝撃の事実は最初の1回しか体験できないけれど、2回目以降は新しい発見を楽しめる。いい映画というのは、何度も観られることに耐えられるだけのクオリティを持っている。
4年前の映画なのでネタバレしてもいいけれど、万が一ということもあるだろうから、やめておこう。もし観ていない人がいて興味を持ったら、最初の1回を楽しめないからね。
とにかく衝撃の事実が明かされる映画なんだけれど、それを知って観ていると、俳優さんの演技の素晴らしさに気づく。人間の顕在意識は氷山の一角で、ほとんどの部分は意識されない無意識に存在している。だからそこに衝撃の事実が隠れている。
そんな無意識世界の事実が、俳優さんの演技に見え隠れすることがある。それが監督の演出なのか、それとも俳優さんのアドリブなのかはわからない。だけど「おっ」と思わずニヤついてしまうようなシーンがあった。これは事実を知っているからわかる。1回目ではなんでもないシーンにしか見えないはず。
さてこれを自分の人生に当てはめてみよう。おそらくボクの無意識下には、衝撃の事実が隠されているはず。わかりやすくいえば、過去生というのがその代表的なもの。
「いやいや、過去生なんてないし、死後の世界なんて存在しない」というあなた。それは正常な反応だから安心して欲しい。だから衝撃的な事実なんだよ。
だけどその衝撃的な事実は必要だろうか? 表に出ていないのは、何か理由があるからじゃないだろうか?
この映画でいえば、トム・クルーズが演じているジャックは、正体不明の夢を見たり、地球に対して不安を抱えているけれど、それほど不幸だとは思えない。そのまま生きていても、敵の攻撃さえ防げれば問題ない人生のはず。
だけど衝撃の事実を知ったことで、今までの人生を否定しなくてはいけない。それはとんでもない苦痛を伴う。もしかしたら命を失うかもしれない。潜在意識に隠されている衝撃な事実というものは、それほどのパワーを持っていることを、この映画は暗に象徴しているのかもしれないね。
真実は必要かどうか? これは昔から人間に与えられた命題だろう。潜在意識下にある事実なら、いつかは知ることができる。わざわざ今の人生に引き出して、耐えられない苦痛を感じる必要はないかもしれない。だけどあえて引き出すことで、今の人生を大きくシフトさせる可能性もある。
どちらにしても、やってみなければわからない。それだけに不安だよね。自分の意思で選択できればいいけれど、この映画のように、ある日突然その事実を突きつけられるかもしれない。さてそうなれば、あなたならどうする?
映画や小説というものの意義は、こうしたことを提案することにある。こんな例もあるけれど、その答えはあなたが考えてね、ということ。そんなことを感じてもらえる小説を書きたいと思う。
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