「私」の正体
昨晩から今朝にかけて、この夏一番の寝苦しさだった。今朝の最低気温は27.1度なので、熱帯夜だけれど驚くほど気温は高くない。きっと湿度が高く無風だったので、不快指数が高かったのだと思う。
午前中に歩いていると、見事な花を見せる百日紅の木に出会った。ボクたちには暑い夏でも、この子たちは快適なんだろうな。蝉に訊いても、同じ答えが返ってくるだろう。
自然というものは不思議で、季節に応じた生き物を創造している。今のような暑い夏を愛する生き物がいれば、凍りつくような冬の寒さを好む生き物もいる。そうしてあるがままに生きている姿が、その種にとってもっとも美しい瞬間なのだと思う。
だったら、人間にとってもっとも美しい瞬間とは、どんなときなのだろう? 人間にとってあるがまま生きる、とはどういうことだろう?
そんな疑問をつい持ってしまう。だけど答えなんて見つからない。美しいと感じた瞬間が、一瞬で悪夢に変わることもある。すべては常に激しく動き続けていて、ボクたちはその流れに沿って生きるしかないように思える。
やはり人間に自由意志なんて存在しない。ボクはそう確信している。人生のすべてを『自我』である自分が決めているように思うけれど、それは錯覚だとしか思えない。なぜなら『自我』という存在こそが錯覚だから。
そんなボクの想いを、科学として学術的に解明した人物がいる。驚くべき本だった。
『脳はなぜ「心」を作ったのか 「私」の謎を解く受動意識仮説』前野隆司 著という本。
前野さんは慶應義塾大学の大学院で教授をされている、れっきとした学者。だからこの本はスピリチュアル的なことが書かれた書籍ではない。むしろ著者は、そうした超常現象や神秘現象を真っ向から否定されている。体外離脱体験なんか脳による錯覚だ、と一刀両断だからね〜w
だからボクの本なんて頭から否定されるだろうけれど、そんなこと気にならないほど、この本は面白い。自分とは何か、ということを少しでも考えたことがある人なら、絶対に読むべき本だと思う。
著者が明言しているのは、「人間に自由意志はない」ということ。
このことを、科学的に解説している。とても読みやすく書かれているので、脳科学の専門知識がなくてもスラスラと読める。それだけに読み終えたあと、強烈な衝撃を受けるだろう。
この本にも書かれているけれど、指を曲げる、という動作をイメージしてほしい。
例えば右手の人差し指を曲げようと思うと、脳で曲げようという意思が先に働き、そして指の筋肉や骨を使って指を曲げる。何度トライしても、自分の意思で曲げることを決め、動かしているとしか思えない。
ところが脳に電極を刺してデータを取ると、ちがう結果が出てくる。指を動かそうとする直前に、ある種の電気信号が流れる。その直後に指が動く。
普通に考えると、ボクたちの脳が指を動かすことを決心して、それからその電気信号が流れ、指が動く、というイメージになるだろう。
でも実際は、ボクたちが指を動かそうと思う前に電気信号が流れている。つまりはっきりいえば、『自我』以外の誰かによって先に信号が流され、そこでようやくボクたちは指を曲げたいと脳で思う。そして次に指が動くという順番になる。
これは何度実験をやり直しても、同じ結果しか出ない。他の研究者が実験をしても同じだった。ボクたちは自由意志で指を動かしたと思っているけれど、先に自分以外の存在から指令を受けて、それを「自分で決めた」と錯覚しているだけのことになる。
ではその指令を出しているのは誰か?
著者は「小人」と呼んでいる。正確にはニューラルネットワークという脳の神経細胞が持つ機能のこと。ボクたちは「小人」が決めていることを、まるで自分が決めたように錯覚しているだけでしかない。だから自由意志なんて存在しないという論理になる。
この「小人」の詳細が気になる人は、ぜひこの本を読んでほしい。それを理解することで、『自我』あるいは『私』というものの正体がわかる。
以前このブログでミツバチの生態が書かれた本を紹介したけれど、それと同じだと思った。ミツバチの一匹が、人間の脳細胞と同じ働きをしている。
そしてボクはこの本を読むことで、ワンネス意識というものの本質がわかったような気がする。著者はそんな精神世界のことには触れていないけれど、ボクはこの本を読んでビンビンと感じた。
科学的なことが書かれた本なのに、悟りについて書かれた本だと感じる。ボクのような読み方をする人間は少ないだろうけれど、わかる人にはきっとわかると思うよ。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。