人間機械論
昨日のブログで書いた心地よい風は、どうやら近づいている台風5号がもたらすものらしい。おかげで昨晩も涼しく眠ることができた。
ところが今日も風は吹いているけれど、ちょっとここ数日とちがう。湿度がグッと上がったようで、歩いていても汗ばむような蒸し暑さだった。そして夕方になって、ゲリラ豪雨の予測が出ている。やっぱり湿った空気だったんだね。
そこそこ大きな台風みたいなので、先日に大雨の被害が出た九州の人たちは心配だね。関西にも接近してくる気配なので、要注意であることはまちがいない。雨は降って欲しいからある意味歓迎しているんだけれど、大きな被害が出ないことを願っている。
台風の時期になると、人間のか弱さを実感することが多い。台風の進路を予測して準備をすることができても、その程度しか対策がない。あとは通り過ぎていくのを待つだけ。大自然のパワーに比べたら、人間なんてちっぽけなものだと感じてしまう。
結局は自然に抗うことはできず、ありのままを受け入れるしかない。そこには人間の自由意志はないように思う。ボク自身は人間に自由意志がないと考えているから、そのことに対して違和感はない。
先日このブログで紹介した『脳はなぜ「心」を作ったか』という本を紹介した記事でも、人間に自由意志がないことが科学的な観点から論じられていた。
でもそれは現代だけのことじゃなかった!
19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、人間に自由意志なんて存在しないことを、堂々と論じた人がいる。その本を昨晩に読了した。
『人間とは何か』マーク・トウェイン著という本。
マーク・トウェインといえば、『トム・ソーヤの冒険』で有名な作家だ。彼は1835年に生まれ、1910年に亡くなっている。この時代に、人間に自由意志なんて存在しないと断言している。
老人と青年の対話形式で書かれているので、とても読みやすい。おそらくプラトンがソクラテスの思想をわかりやすく伝えるために、対話方式を用いたのと同じ意図だろう。ただ理屈を並べられるよりも、理解が進む。
ボクが大好きな本である『嫌われる勇気』という著作も、アドラー心理学を伝えるために対話方式を用いている。このブログでも『ガストンとの対話』というカテゴリーがあるけれど、やはり同じ効果を意図してボクは書いた。
老人は冒頭で、人間は機械でしかない、と断言する。それを『人間機械論』とマーク・トウェインは記している。
その宣言に対して、青年は必死になって反論する。彼が用いている論拠となるものは、現代人が抱えている常識と同じ。だから21世紀のボクたちが読んでも、この本はまったく色あせることはない。
読み進めいくことで、ボクたちが当然だと思っていた概念が、ガラガラと崩れていく音を聴くことになるはず。そんな体験をしてみたい人は、ぜひこの本を読んでほしい。
このブログで概要を説明しても意味がない。自分が青年の立場になって読み進めることで、ようやく人間に自由意志がないことを理解できるから。さらっと書かれているけれど、奥が深い作品になっている。何度も読み返すことで、より理解が深まるだろうと思う。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。