ストレートすぎるのもどうかと思う
ここのところ夜は不眠症気味。そのせいか、昼間がやたら眠い。
その理由は今書いている新作小説。ラスト近くのクライマックスに差しかかっているので、細かい設定のつじつま合わせに悩むことが多い。布団に入ってからそうした矛盾をはらみそうな要素に気がつくので、あわててネットで調べることになる。
昨晩もそうして気になることをチェックしていたら、午前1時を過ぎてしまった。あわてて眠ろうと思うけれど、あせればあせるほど眠れないもの。小説を書いていると、このあたりの部分がしんどいところで、かつ楽しい段階でもある。まぁ、楽しむしかないけれどね。
小説というのはノンフィクションではないので、基本的に嘘のかたまり。だからそこまで真剣に悩む必要はないように思うけれど、明らかな嘘だと全体が台無しになる。だから真実を盛り込むことでそれらしく見せる必要がある。
そんな嘘だとわかっている物語で、世界一売れている本がある。それはキリスト教の聖書。
原理主義的な過激な信者の人が聞いたら怒りそうだけれど、聖書に書かれていることはありのままの事実ではない。キリスト教を使って人心を把握しようとした権力者や聖職者が、自分たちの都合のいいように書き換えていると見るほうが正常な発想だろう。
もちろんそのなかにキリスト教の大切な教えを散りばめてある。そうでないと意味がないから。だけど聖書に書かれていることがありのままの事実だと考えている人は、現代社会においてそれほど多くないはず。
それでも大勢の人が聖書を読むのは、物語として面白いからだと思う。特に新約聖書はストーリー性に富んでいて、なかなか面白い物語になっている。だからボクは、10代のころから何度も読み返している。あくまでもフィクションとしてね。
ところがその新約聖書を、そのまま映画にしてしまった作品を観た。
『奇跡の丘』という1964年のイタリア・フランス合作映画。『マタイによる福音書』を映画化したもので、『奇跡の丘』はイエスが磔にされたゴルゴダの丘をさしている。
イエス・キリストを描いた映画は割と好きで、機会があると観ている。ボクが映画として最も好きなのは、ウィレム・デフォーが主演した『最後の誘惑』という作品。この物語に登場するイエスが、ボクは1番好き。それは今でも変わらない。
なぜなら人間としてのイエスに、真正面から向き合った作品だったから。キリスト教圏の国から批判を浴びたようだけれど、ボクは素晴らしい作品だと思う。
だけど昨日観たこの映画は、まさに新約聖書そのまま。動画にした聖書だと言ってもいい。モノクロで撮影されていて、全体の雰囲気も素敵だけれど、あまりにストレートすぎて、途中で興ざめしてしまった。ストーリーとしては面白くても、あまりに有名な物語なので、もうちょっとこの映画独自の解釈が欲しかった。
そんなボクの意見とちがって、きっとヨーロッパではウケがいいんだろうな。聖書のままのイエスが動くことに、畏敬の念を持つのかもしれない。でもボクのようなキリスト教の信者でない人間は、工夫がなさすぎてイマイチだった。
だけど唯一この映画でよかったところがある。それは聖母マリアを演じた女優さん。
綺麗な人だよね〜! この女優さんを観られただけでもよかったかもw ちょっと神秘的で、いかにも処女懐胎しそうな気がする。また夫のヨセフが妙に野暮ったいのもよかった。ボクは新約聖書に登場するヨセフの大ファンなんだよね。
そんな文句を言いながらも最後まで観てしまった。2時間以上あるんだけれどね。まぁそれは、ストーリーそのものが面白いからだろう。新約聖書を残した当時の聖書者は、優秀なストーリーテラーだったのかもしれないね。
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