スピは現実逃避の道具じゃない
今日から10月。今月は個人的にいろいろあるので、かなり気合が入っている。とにかく時間を大切にしたい。
次のステージへ進むためには、以前と同じ時間の使い方をしていたら息切れする。24時間という限られた物理的時間を、どれだけ心理的時間に変換して増やすことができるか? その鍵を握るのは、集中力しかないと思う。活動と休息のメリハリを意識して、生産性の高い時間を増やせるようにしたい。
外を歩いていると、すっかり秋らしくなってきた。今日なんか、マジで行楽日和だよね。
散歩していると、見事なブーゲンビリアに出会った。生命力にあふれたこの花を見ていると、こちらも元気になってくる。
さて、以前から思っていたことだけれど、最近になって改めて思うことがある。
それはスピリチュアルを、現実逃避の道具にしていることに気づかない怖さ。これは自分が体験したから、よくわかる。
誰しも幸せになりたい、笑顔でいたいと思って生きている。だけど現実世界は様々なことが起きる。理不尽な出来事は数知れないし、思いもしない不幸に見舞われることもある。自分の力の限界を思い知らさせることもあるだろう。
だから人生を変えたい、自分を変えたい、と思うのは自然なこと。その方法はいくつもあるけれど、スピリチュアルな情報を活用することもできる。なぜなら人間の意識の根源を見つめ直すことになるから。
だけど注意するべきなのは、自分が変わることと、周囲の環境が変わることを、ごちゃ混ぜにしてしまうこと。その例が「引き寄せの法則」だろう。
「引き寄せの法則」というものは、必死で努力して自分の何かを変えることよって、ようやく機能する。ただイメージをしていただけで、周囲の環境が変わるわけじゃない。自分が今までとちがう意識状態に至ることで、必要な人や出来事が集まってくる。主体となるのは、努力に裏打ちされた自分の変化。
だけど自分では何もせずに、不幸な現状だけを変えたいと願ってしまうワナに陥りやすい。自分の人生がうまくいかないのは、政治や社会が悪いからだと思い込んでしまう。そしてそれを自らの力で変えようと努力するのではなく、魔法のように都合のいい世界に変わることを望んでしまう。
それは、単なる現実逃避でしかない。
自分が直面している問題から目を背け、自分が抱えている欠点や弱点に向き合おうとしない。別世界に移動すれば、すべてがいい方向に変わると妄想してしまう。
ボクのように頻繁に体外離脱や明晰夢を経験していると、ついそうした方向に走りやすい。『ゼロの物語』でも主人公のソラは、最初は明晰夢を現実逃避の道具としてしか利用していない。第2部のラストで「虚無の世界」に落ちることによって、ようやく自分が現実を直視していなかったことに気がつく。
スピリチュアル的なことが書かれた本やセミナーは、耳ざわりのいい言葉に満ちている。その通りにやれば、自分は今までとちがう世界で暮らすことができると考えてしまう。だけどそんな簡単なものじゃない。
自分が直面している課題を直視して、それに対して正面突破しなければ道は開けない。どれだけ多く体外離脱を経験しようと、どれだけ多くマントラを唱えようと、現実逃避をしている限り何も変わることはない。
人生に近道なんて存在しない。やるかやらないかだけ。スピリチュアルな情報はそのための助けにはなるけれど、自分の人生を代行してくれるものじゃない。現実逃避ではなく、現実を直視するための道具だということを忘れてはいけないと思う。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。