面倒なことをやりきる2つのコツ
昨日衣替えをしたので、今日の外出はすっかり秋の雰囲気。タイミング的にバッチリで、おとといの服装なら寒かったと思う。季節の変化というのは少しずつというより、どちらかといえば力技的に一気に来るよね。
そして本格的な秋の訪れとともに、鍋料理も復活した。夏は夕食のメニューを考えるときに悩むことが多いけれど、この季節は鍋なら簡単。今日も鍋の材料を買ってきたので、四日連続で鍋になりそうw
涼しくなって夏の疲れが出ているので、今日の鍋にはニンニクパワーを投入することにした。新作小説もラストが近いので、鍋料理でパワーを充電して、一気に初稿を書き上げてしまうつもり。予定ではあと5日なんだけれど、大丈夫だろうか?
そんな忙しい時期なのに、秋の大掃除を組み込んでいる。年末の寒い時期には、とてもじゃないけれどじっくりと掃除なんてできない。だからこの時期に大掃除をしている。それでも、いざやるとなると面倒なもの。
大掃除に限らず、面倒だけれど、どうしてもやらなければいけないことってあるはず。それはサラリーマン時代もよくあった。単調で退屈な仕事を、どうしても避けられない場合がある。
やらなければいけないことなら、やればいいだけのこと。それはわかっているけれど、なかなかお尻が上がらないのが人間というもの。それはボクも同じで、そのために、ある2つのことを取り入れている。
まず最初は、面倒なことをとにかくスタートさせるということ。やり始めてしまえばどうにかなるものなのに、最初の一歩が出てこないからね。
そんなとき、ボクは「願掛け」を利用している。これは以前にブログでも書いたことがある。自分が叶えたい願いを、面倒なことを始めることで叶うと言い聞かせる。そうすると、よしやろう、という気持ちになれる。
ただし、その願いには注意点がある。
素晴らしい小説が書けますように、いい曲が作曲できますように、素敵な出会いがあって恋人が見つかりますように、なんていう願いはNG。自分がそのことに関してまだやれる余地が残っているのものは、「願掛け」に利用してはいけない。
「願掛け」している時間があるのなら、実際に小説を書いたり、作曲をしたり、出会いを求めて活動するべき。自分ができることが山ほどあるのに、何もしないで「願掛け」をしても意味がない。それは、単なる現実逃避でしかない。
ではどんな「願掛け」がいいのか? わかりやすい例で言えば、映画出演のオーディションを受けて結果待ちをしている俳優さんをイメージすればいい。そのオーディションに関しては自分のやれることはない。「人事を尽くして天命を待つ」という状況。
こういう場合の「願掛け」は、面倒なことに手をつけるのにピッタリ! 自分にできることが何もない状況だから、気も紛れる。よしやってしまおう、という気持ちにもなれる。そして実際に動くことができる。
そして2つ目のコツは、それをやりきるときに使う。ボクの場合は、その面倒なことに携わっている自分を忘れる。例えば換気扇をの羽を掃除していても、過去に掃除をやっていれば手は勝手に動く。だけどその掃除に意識をフォーカスさせると、面倒だという気持ちばかりが浮かび上がってしまう。
だからボクは掃除以外の、まったく別のことを「妄想」している。もっとも多いのは新しい小説のストーリーを考えること。頭はそちらに集中しているので、時間の経過を感じない。あるいはこんな自分になりたい、という未来への「妄想」でもいい。お金持ちになりたい人なら、その状態をイメージすればいい。
そんなことをしていると、気がついたら換気扇は綺麗になっている。他の単純作業でも、時間を感じずに終わっていたりする。嫌だ、嫌だと、思いながらやるから、疲れてくるしウンザリした気分になる。
どうせやらなくてはいけないのなら、まずは「願掛け」を使ってスタートさせる。そのあとは他の楽しいことを考えながら、ひたすら手だけを動かす。そうすれば面倒なことも、なんとなく片付いていく。
とまぁ、こんな雰囲気で秋の大掃除をやっているということ。さて、明日も面倒なことを一つ片付けるか〜!
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。