話を広げすぎると、後で苦労する
今日はかなり寝不足。めちゃ眠い。その理由は台風21号。
昨日の夜から未明にかけて台風が最接近したので、とにかく風の音がやかましい。幸いにもマンションは高台にあって、かつ我が家は10階。だから雨の心配はそれほどないけれど、山に近いだけに風がすごい。
そのうえどデカい台風だったので、風の強さは半端ない。激しい音と振動が続いて、イヤホンで音楽を聴いていても効果なし。ちょっとウトウトしたと思ったら、すぐに起こされてしまう。ミューナも眠れないのか、深夜に興奮して走り回っていたw
ようやく朝の5時ころになって静かになったけれど、時すでに遅し。超寝不足のまま、朝を迎えることになった。
だけど台風一過で、本当に気持ちのいい青空。朝のうちは雲が多かったけれど、お昼前後からは太陽が久しぶりに顔を見せてくれた。これだけ長い時間晴れているのは、おそらく2週間ぶりくらいだろう。太陽と青空の素晴らしさを、改めて見直すことになった。しばらく好転が続くようなので、かなりうれしい。
天気予報では今日も暴風雨の予定だったので、食料品は買い込んである。だけど台風のスピードが早くなったので、朝からいい天気。これなら買い物に行けるけれど、あえてやめておいた。
だって買い物に出たら、必要のないものを買ってしまうからね。無駄なお金と時間を使うより、その分仕事をしているほうがいい。おかげで午前と午後に、じっくり仕事をすることができた。そして午後から映画も観た。
『マトリックス・レボリューション』という2003年のアメリカ映画。10年ぶりくらいに見直しているマトリックス3部作の完結編。もちろん映画館でも観ているし、その後のDVDでも鑑賞している。
久しぶりに第3部を観たけれど、最初のときと感想は同じだった。多少は変わるかなと思ったけれど、やはり同じだった。
その感想とは、「話を広げすぎると、後で苦労する」ということ。
第2作の感想のときにも書いたけれど、第1作は完璧な映画。ところが第2作で、大風呂敷を広げすぎたと思う。話が大げさになってきたので、この第3作で完結させるのに苦労しているように感じる。
小説を書いているときにもよくあること。あまりに話を広げると、オチに困ってしまう。この映画に関しては、当初からどうしてもそんな印象が拭えない。第2作と第3作は、ひとつの作品と考えてもいい。それでも話がデカすぎて、合わせて4時間では収まらなかったのだろうと思う。
第2作はまだアクション映画として楽しめた。特にマトリックス内でのカーチェイスは、かなり見ものだった。だけどこの第3作では、マトリックス世界よりもザイオンでの攻防が中心になっている。だからアクションシーンといっても、CGを使ったロボットと人間の戦いばかり。
仮想世界でのネオたちのエピソードが圧倒的に少ない。モーフィアスなんか貫禄を失ってしまって、オタオタしているばかりだものね。だからアクション映画としても、第2作のほうが優れていたと思う。
そしてストーリーも、かなりわかりにくい。というか共感しづらい。マトリックス世界のウィルスと化したスミスという、人類と機械の共通の敵を倒すため、ネオは機械側に交渉する。自分がスミスを倒すから、ザイオンを攻撃しないでくれと。
ラストではその通りになるけれど、それって本当に平和???
このことに関しては取引が成立したかもしれない。だけど平和というのは対等な関係によって築かれるものであるはず。これは決して人間にとって対等ではない。機械にすれば、いつでもザイオンを襲うことができる。今回のところは攻撃をやめただけでしかない。
そんなことのために、ネオは自分を犠牲にする。機械としては、スミスというコンピュータウィルスを駆除できればそれでいい。そのためにネオの力を借りたからといって、そのあとになんの義理もないよね。人類が邪魔になれば、いつでもザイオンを攻められる。
だから映画を観終わっても、ネオよくやった、と思えないんだよね。単なる一時的な休戦を勝ち取っただけだもの。
これは話を広げすぎたから、ここでオチにするしかなかったのだと想像している。映画作品において、連続ものの難しさはこういうところにあると思う。同じ例で言えば『ターミネーター』も、無理に続けてわけのわからんことになってきている。
3部作で成功しているのは『ロード・オブ・ザ・リング』かな。あれはしっかりとした原作があって、物語として完結しているからだろう。連続ものの映画は、なかなか難しいよね。でも久しぶりにこのシリーズを観て、かなり楽しむことができた。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。