あかん、めちゃ焦る!
今日から12月だよ〜!
朝食を取りながら妻とも話していたけれど、時間が経つのが早すぎる。もしかしたら本当は半年くらいしか経過していないのに、騙されているのではと思いたくなるほど早い。1ヶ月後にはお正月だからね。
こんな焦った気持ちになるのは、おそらく今年の春に書いた小説のリライトに時間がかかっているからだと思う。新作かと思うほどの書き直しをしているので、終わりが見えなくなってきた。年内に仕上げるつもりだったけれど、かなり怪しいよなぁ。
そんな焦った気分を、さらに追い立てられる映画を観た。
『ひまわり』(原題: I Girasoli )という1970年に公開されたイタリア、フランス、ソ連の合作映画。
有名な作品なのでタイトルは知っている。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演した映画なのも知っている。ヘンリー・マンシーニが作曲したテーマ曲は、誰もが一度は耳にしたことがあるほど有名な曲だろう。
でもヨーロッパ映画で辛気くさそうだし、大人の恋愛をくどくど語ったような映画にちがいない、と勝手に思い込んでいた。だけど何事も勉強だと考えて、思い切って観ることにした。
映画を観終わって、思わずボクの勝手な思い込みを謝罪したくなった。誰に謝ったらいいのかわからないけれどwww
めちゃくちゃ素敵な映画やん! 切なくて、切なくて、涙がポロポロ出てきた。そして単なる恋愛映画じゃない。二人の主人公の人生を描きながら、戦争という非道な行為に対する強烈なメッセージが込められている。
イタリア人のアントニオとジョバンナ。第二次世界大戦の真っ最中で、アントニオには軍から招集命令が出ている。結婚すると12日間の休暇が取れるので、愛し合っていた二人は結婚する。その12日にあいだに戦争が終わることを期待したから。
だけどまだ終戦はこない。そこで気が狂ったふりをして徴兵を免れようとしたが、結局はバレてしまう。アントニオはソ連軍と戦うためにロシア方面に向かう。ところが終戦になってもアントニオは帰ってこない。戦友にたしかめると、ソ連軍から逃げる際に雪原のなかで行き倒れになったとのこと。おそらく死んでいるだろうと戦友は語る。
だけどジョバンナはアントニオが生きていると信じる。そして戦後から何年も経ってから、ソ連まで出向いて捜索することでアントニオを見つける。ところが助けられたときに記憶を失くしていたアントニオは美しい女性と結婚して可愛い娘をもうけ、ロシア人として暮らしていた。
ジョバンナは失意のうちにイタリアへ戻る。やがてある男性と結婚して子供をもうけるが、心のなかには常にアントニオのことがあった。そしてアントニオも元妻と会ったことで、記憶を取り戻す。どうしても会って事情を話したい。その想いを抱えてイタリアまでやってくる。
再会した二人だけれど、どうしようもない。互いに家族を持っている。アントニオは二人で逃げようと持ちかけたが、ジョバンナは断腸の思いで首を横にふる。子供を残していくことはできない。ソ連へ戻るアントニオを駅で見送るシーンで、この映画は終わる。
この映画は戦争の責任を追及しているわけじゃない。イタリアが悪いとか、ソ連が悪いとか言っていない。この二人に起きた出来事を通じて、戦争の悲惨さを静かに訴えている。愛し合う人と引き裂かれてしまうことほど、戦争の苦悩を伝えるものはないだろう。
なぜこの映画のタイトルを『ひまわり』と言うのか。それはアントニオを探しに向かったジョバンナが、夫が遭難した場所を訪問したのが広大なヒマワリ畑だったから。
ソ連軍に追われた大勢のイタリア兵、そしてソ連の兵士、さらに地元の農民までもが、この地で命を落としている。そんな人たちを、ソ連政府が穴を掘って葬った場所がこのヒマワリ畑だった。
アントニオが元妻と再会したとき、「俺はあの雪のなかで一度死んだ。それで生まれ変わって別の人間として生きることになった」と言うシーンがある。アントニオの心のなかでは、ジョバンナの夫であった自分は、そのヒマワリ畑の下で眠っているということだよね。マジで切ないシーンだった。
こんな素敵な映画を観たら、ボクが思い込みによってスルーしている作品に、人生観を変えてしまような映画あるのではないだろうかと思ってしまう。それで変に焦っているというわけ。この世にあるすべての映画を観尽くすわけにはいかない。だけどできる限り名作を見逃したくないと思って焦っている。
どうせすべてを観るなんて無理だけれど、固定観念をできるだけ手放し、今までスルーしていた映画を積極的に観ようと思わせてくれた作品だった。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。