本当の勇気を見た気がする
男の子って、本能的に機械に興味を持つことが多い。よくやらかすのが、時計等の身近な機械を分解すること。なぜ動くのが知りたくで、バラバラにしてしまうことがある。才能のある子供ならまた同じように組み立てられるだろう。
だけどほとんどの子供は、眼前に広がったカオスを見て呆然とする。ボクなんかも、どちらかと言えばその子供に属する。おまけに不器用ときているから、元に戻せるわけがない。プラモデルなんてまともに完成させたことがない子供だったからねw
だけど大人になっても、同じことをやらかしている。今年の春に書いた小説をリライトしているけれど、今日で1回目の訂正を終えた。目の前に広がっているのは原型をとどめていない残骸。明日から2度目の手直しに入るけれど、どこから手をつけていいのかわからない。
アナログ時計を解体して、その部品でスマートフォンを作ろうとしているのと同じ。だから苦労するのは当然かも。12月も半分を過ぎたけれど、今年の年末年始はこの作業に没頭することになりそう。果たして締め切りまでに間に合うのだろうか?
さて、今日はとても素晴らしい映画を観た。監督を含めて、この映画を作ったスタッフの勇気を見せてもらえた気がする作品だった。
『ミニヴァー夫人』(原題:Mrs. Minive)という1942年のアメリカ映画。
この映画が公開されたのは、ちょうど第二次世界大戦の真っ最中。アメリカも日本と激しい戦闘を繰り返していたころ。だから映画の主旨としては、戦意高揚を意図したものであることは明らか。それはラストシーンの牧師のセリフに託されている。
だけどじっくりこの映画を観ると感じるけれど、これは反戦映画だと思う。ドイツを敵として表現しているけれど、やっつけてしまえという雰囲気にならない。むしろ戦争なんて今すぐやめるべきだという、強いメッセージが込められた作品だろう。
映画の舞台は1939年、ロンドン郊外の田舎の村。主人公のミニヴァー夫人は、優しい夫、そして幼い長女と次男と暮らしている。長男はオックスフォード大学に寄宿している。そこそこのお金持ちで、メイドを雇っている。
だけどその年はドイツがポーランドに侵攻して、すかさずフランスとイギリスがドイツに宣戦布告を行っている。田舎で普通に暮らしている人たちにも、戦争のほの暗い影が容赦なく忍び込む時代だった。
映画が始まったときの幸せな一家の雰囲気と、戦争突入と同時に家族を引き裂く苦悩が対比的に描かれている。長男は志願して空軍のパイロットになる。ボクはこの時代のイギリスパイロットを小説に書いたことがあるから、彼を待ち受けている運命がどれだけ悲惨なことになるのかよくわかる。
様々なエピソードが折り込まれている。夫が留守のとき、不時着したドイツ軍のパイロットがミニヴァー夫人を脅すシーンがある。彼女は恐怖を覚えながらも、重傷を負ったパイロットに食事を与える。とても緊張するシーンだけれど、ドイツを『悪』として捉えていないことがよくわかる。
幼い子供二人とミニヴァー夫妻が防空壕で隠れている場面などは、映画史に残る名シーンだと思う。このブログでアップした画像がそのときのひとコマ。爆弾の振動に怯えながらも、イギリス人らしくお茶を飲もうとする夫婦の演技は見応えがある。夫婦の何気ないやり取りから、爆撃に対する底知れない恐怖を感じる。
この映画公開されが1942年は、まだドイツと戦っている最中。イギリス側が負けても不思議ではない状況だった。そんな時代にこの映画を作って公開したスタッフ、出演した俳優さんたち、そしてアメリカの配給会社の勇気に心から拍手を贈りたくなった。アカデミー賞の各賞を総なめしたのは当然だろう。
日本はこんな国と戦っていたんだから、勝てるわけがない。この映画を観ていて、つくづくそう思った。
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