傾く精神が常識を破壊する
今日の仕事は気合が必要。春に書いた小説を大幅に書き換えることに決めたので、エンジンをフル回転させなくてはいけない。
そこでテンションをマックスまで持ってくるのに、Apple Musicでかなり派手なロックばかり集めたプレイリストを見つけ、朝からずっと聴いている。いわゆるハードロックやヘビメタと呼ばれる音楽は、ほとんどの曲が70年代と80年代に出されたものばかり。
だから古い曲なんだけれど、パワフルであることに変わりはない。そのエネルギーをガンガンと受けながら仕事ができたので、予定していた以上のものが書けたように思う。やっぱりロックは、ボクの血肉となっているんだろうね。
ロックの精神は、その時代の体制を破壊することにある。パンクロックなんかはその典型で、アナーキーであることに重要な意味がある。音楽は時代とともに変化していくけれど、常識を破壊するという精神はいつの時代にも必要だと思う。
今だったらオルタナティブという表現になるのかな? 既成概念にとらわれず新しいものを生み出していくためには、常識を破壊するしかない。ボクにとってそれを象徴するのがロックなので、音楽は古くても『今』を破壊する精神が刺激されるのだろう。
日本の江戸時代にも、同じく常識を破壊する人たちがいた。それは歌舞伎役者たち。傾く(かぶく)からきた歌舞伎は、まさにその時代の常識を破壊するものだったと思う。そんな歌舞伎の精神に満ちた映画を観た。
『阿修羅城の瞳』という2005年の映画。主演は市川染五郎さんで、まさに歌舞伎役者。
文化文政時代の江戸を描いた作品で、人間と鬼の世界が混在している。人間になりすました鬼が大勢入り込んでいて、その鬼たちを見つけては退治する組織を幕府が作っているという設定。まるで『メン・イン・ブラック』の日本版のような物語。
元々は舞台のために作られた作品で、古くは1987年に舞台で上演されている。その後2000年と2003年にも舞台で再上演され、そのときに主人公を演じていた市川染五郎さんが、そのまま映画にも出演している。
直近の舞台では天海祐希さんがやっていた椿という役を、映画では宮沢りえさんが演じていた。まだ少女のようで顔がふっくらとした沢尻エリカさんも出演していた。
とにかく不思議な作品で、ツッコミどころはかなりある。CGに関しても2005年の日本の技術力って、こんなものだったのかとガッカリするようなもの。だけど最後まで面白く観ることができた。
その理由は出演している俳優さんたちの演技が素晴らしいこと。かなりキワモノの役ばかりなのに、とても見ごたえのある演技を堪能させてもらえた。そしてボクが気に入ったのは、歌舞伎の世界観が映画に反映されていたこと。映画なのに、映画にないものを感じた。
歌舞伎の舞台を映画化したような作品で、歌舞伎の根底である『傾き』精神が全体を通じて弾けていたように思う。この時代の常識を破壊する、何か新しいものを創造しようというエネルギーに満ちていた。今から観れば古くさいかもしれないけれど、公開当時はかなり画期的だったと思う。
少し大げさな演技で、キャラがデフォルメされていたのも歌舞伎らしくて良かったなぁ。映画としての完成度はあまり高いとは言えないけれど、こういう作品はかなり好き。カブクことの大切さを思い出させてくれる映画だと思う。
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