『今』を生きる先住民族たち
今年最後の買い物が終了。次に外出するのは1月2日になるので、しばらく引きこもりでじっくりと仕事ができそう。でも元旦は午前中に仕事をしたら、午後からは呑んだくれていそうだけれどw
去年からお餅を購入する店を変えている。スーパーで売っているような工場製のお餅じゃなく、昔ながらの方法で店内でつきたてのお餅を販売しているお店。今年のお正月にその店のお餅を食べたとき、懐かしい味に感動したのを今でもはっきり覚えている。
子供のころに食べたお餅ってこんな味だったよね、と妻と何度も言い合っていた。いつしかその味を忘れていたけれど、きちんと守ってくれているお店もあるのがうれしい。今日お店に行くと、ひっきりなしにお客さんが訪れていた。
買い物のラストに買ったお餅はまだフワフワだった。そのまま袋に手を突っ込んで、パクッとかぶりつきたいと思ったほど。そこをぐっとこらえて、お正月まで我慢しなくては。まだ2日も先のことだけれど、今からワクワクしている。
さて今年最後になると思う読了本を紹介しよう。今夜から読む本はかなり分厚いので、どう考えても年を越してしまいそうだからw
『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット著という本。
著者のダニエルは言語学者で、30年という長い時をかけてある少数民族の言葉を研究した。その内容を素人にも理解できるように書かれた著作。
その民族はピダハンと呼ばれていて、ブラジルはアマゾンの奥地で暮らしている。いくつかの部族に分かれているけれども、すでに400人を割っている。だから消えゆく民族であり、いつしかピダハンの言語も消えて行くかもしれない。
まず最初に感じたのは、とてもボクはここで暮らせないということ。アナコンダを代表とした蛇だらけだし、タランチュラやサソリがうようよしている。川には恐ろしいワニやピラニアが生息している。著者の奥さんと娘さんがマラリアにかかって死にそうになった場面では、「無理、無理」という心の声しか出てこなかった。
そんな過酷な環境なのに、ピダハンの人たちはいつも笑顔で暮らしている。狩猟がメインで、魚や動物を狩って暮らしている。平均寿命は短いし、乳幼児の死亡率は高い。だけど著者がアメリカ社会で暮らす人たちには見たことのない素晴らしい笑顔を、ピダハンの人たちは常にたたえて暮らしている。
彼らの言語はかなり特殊なもので、母音と子音を合わせて8つくらいの音しか使用しない。そして言語が持っている特徴がかなり変わっている。そしてそれらが彼らの文化に大きな影響を与えている。
例えば右や左という方向の概念がない。不思議なことに数の概念もないし、色の名前も存在しない。彼らには神もいなければ、創世神話もない。通常の民族に考えられるものが、彼らには存在していなかった。
だからと言って知能が遅れているわけじゃない。とても頭がいいし、きちんと社会生活を営んでいる。結婚生活はかなりユニークで、夫や妻以外に好きな人ができたら、しばらくその二人で旅に出るらしい。そして戻ってきても一緒にいたいと思ったら、夫婦がチェンジする。
もちろん嫉妬もあれば、ケンカもある。だけどそのルールに従っている限り、刃傷沙汰が起きることはない。独身世代はさらに自由で、フリーセックスと言っていいほど開放的とのこと。
もっと面白い特徴がいくつもあるけれど、気になる人はぜひ読んで欲しい。日本人にはない世界観を知ることで、意識の多様性が大きく広がると思う。そのなかでも、ボクが感動したものを紹介しておこう。
ピダハンの人たちにとって、過去や未来という概念が希薄だということ。『今』自分が体験していることがすべてであって、伝承を信用しない。他人の経験に耳を傾ける場合でも、その人が実際に体験したことしか信じない。
神なんてものは信用しない。でも精霊は信じている。なぜならそれは彼らにとって『今』目の前にある現実だから。だからこの世に存在しない人のことが話題にあがることがない。ピダハンの人たちにとって故人は『今』の経験ではないから。
著者がこの研究を始めたきっかけは、キリスト教の団体が資金を出してくれていたから。彼自身も熱心なキリスト教徒であり、奥さんともその団体で出会っているので、この地で暮らすことになった。ピダハンの人たちにキリスト教を信仰してもらえるよう、聖書をピダハン語に翻訳することが目的だった。
そして翻訳聖書が完成したとき、著者は熱心にキリスト教を勧める。だけど内容は理解してくれても、彼らは一向に信仰する気持ちを見せない。ある日ピダハンの友人が著者に言った。
「お前は熱心にイエスを勧めるけれど、そいつに会ったことはあるのか。その本に書かれていることは、そいつから直接聞いたことなのか?」
彼らは直接的な経験しか信じない。どれだけ言葉を尽くしても、聖書に書かれたことを信用してもらえることはできなかった。さらにもっとすごいことが起きる。
熱心なキリスト教徒だった著者が、ピダハンたちの現実主義に触れて、完全な無神論者になってしまった。彼はキリスト教を捨てることになり、教会からの支援を断ることになる。当然ながら熱心な布教者である妻は彼の元を離れ、家族を失うことになった。
だけど著者は自分が無神論者になったことにとても満足している。それこそが学者としての本当の精神だと気付いたから。思い込みや植えつけられた概念ではなく、実証できることを自分の知識として受け入れていく。そのことを教えてくれたのが、ピダハンの人たちだった。
とても素晴らしい本だった。ボクたちがどれほど固定観念に縛られているかを教えてもらえる。今年最後に、いい本に出会えてよかったと思っている。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。