『君の名は。』で疑問に思うこと
新年最大の楽しみのひとつだったのが、ようやくこの映画を観ることができること。
『君の名は。』という2016年のアニメ映画。大ヒットした作品で、海外でも圧倒的な支持を得た。日本を代表するアニメ作品だと称されている。地上波で放送されるとのことで、ずっと楽しみにしていた。
たしかによくできた作品だった。新海誠さんのアニメ映画はすべて観ているけれど、この作品も映像の美しさは、宮崎駿さんを超えているんじゃないかと思う。それなりに感動したし、よくできたストーリーだと思う。ヒットしたことは納得できる。
だけど正直にいうと、どうも引っかかることが多い。いろんなことが気になって、物語に没頭できなかったんだよね。それはボクの理解がともなっていないだけかもしれない。もっと何度も観ると、理解できるのかも。あるいは原作を読むとかね。
だからボクの理解不足や早合点かもしれないけれど、この作品を見て疑問に感じたことをあげてみようと思う。このあとはネタバレになるので、これから新規で観ようと思っている人は読まないほうがいいよ。
(1)あの状況で、瀧と三葉は恋愛感情を抱けるのだろうか?
夢の世界とはいえ、明晰夢のように明確な知覚をともなっている。意識が入れ替わるわけだから、異性の肉体をリアルに経験することになる。同じ年代の異性の肉体を自分だと意識する経験をしていて、恋愛感情を抱けるのか疑問に思ってしまった。
だってホルモンがもっとも活発に動いている高校生だよ。ボクならおそらくその女性の身体を強烈に意識してしまう。どうしても気になって、徹底的にチェックすると思う。性的な面も含めてねwww
恋愛感情って、自分以外の肉体を持つ存在だから抱くものだと思っている。不定期とはいえ、相手の肉体を自分だと意識していたら、あの映画のような驚きだけで済まないと思う。自分のすべてを知られていると感じてしまう異性に対して、高校生が普通の恋愛感情を持てるのだろうか?
(2)あの『口噛み酒』を飲むシーンで、生理的な嫌悪感を感じないのだろうか?
つながりを持てなくなった瀧が、三葉が奉納した『口噛み酒』を飲むシーンがある。二人の世界をつなげるという大切なシーンなのはわかるし、伏線として登場することは想像できた。だけどボクは生理的にゾゾゾとした。
どれだけ好きな異性だとしても、お米を口に含んで吐き出したものを発酵させたお酒はキツイ。キスするのとちょっとちがうと思うんだけれど。ボクはあのシーンでドン引きしてしまった。
(3)あれほどスマホを使い倒している世代なのに、どうして3年の時差があることに気がつかなかったのか?
夢の世界でつながっている瀧と三葉に、3年というちがいがある設定は面白い。もちろんすぐに気が付いたら物語が進行しないけれど、スマホを使って日記を交換しているわけだよね。奥寺先輩とのデートまで三葉が段取りしているのに、待ち合わせや日時やカレンダーのちがいに気がつかないのは不自然な気がする。
都会は3年でもかなり様変わりする。流行するものもちがってくる。三葉は田舎暮らしだからそのちがいがわからないとしても、時差に気がつかないことが気になって仕方ない。
(4)糸守町の方言って、あれでいいの?
つまらない疑問かもしれないけれど、飛騨地方の人が聞いて三葉の方言はあれでいいの? ボクは三葉が祖母や妹と会話しているシーンを見ていると、どうしても関西弁に聞こえてしまった。だから最初、あの糸守町は関西のどこかだと思っていた。こんなことも気になると、物語に集中できなくなるんだよね。
(5)なぜ二人は互いの名前を忘れてしまうの?
この疑問がもっとも気になったこと。夢の出来事が忘れやすいのは理解できる。だけどスマホに書いた日記でやり取りしているときは、互いの名前がわかっていたよね。それなのになぜあの隕石墜落事故のあとに記憶を失くすのだろう? その部分がどうしても理解できない。
なぜならボクは普段から明晰夢を見ているから。実体験と変わらないほどの知覚だから、現実で昨日の出来事を思い出すのと同じ。要点をメモしておけば、かなり詳細なことでも思い出せる。ボクが『ゼロの物語』を書いたのも、そうして明晰夢の記憶が明確に残っていたから。
だから瀧と三葉が互いの名前と存在を忘れて、面影だけを追いかけるシーンに感情移入できない。そんなん忘れへんやろう、と思ってしまう。だって隕石墜落被害を防いて、三葉が死なないというパラレルワールドを作り出したくらいなんだから。ここにめちゃ引っかかってしまう。
(6)二人の再会シーンは必要なの?
ボクはハッピーエンドが好きだから、二人が再会してうれしいと思う。だけど映画としていいのかな? あの二人は夢の世界で意識を交換することで、町の住民が全滅していた世界を変えた。それでいいんじゃない?
新海誠さんの過去の作品では、すれちがったままの二人で終わることがほとんど。だったらそれを貫いてもいいように思った。そのほうがズシンと心に残る。もしかしたら運命が二人を結びつけて、いつかは出会うかもしれない。
だけどそのシーンを見せなくてもいいように思う。二人の人生が再び『結ぶ』のは、中年や老人になってからでもいい。そんな出会いも素敵じゃないのかな? あの二人は恋人になるんだな、という未来を押し付けられたような気がして、ちょっともったいない気がした。二人の未来は、観客に想像してもらうほうがいいのになぁ。
というような6つの疑問が気になってしまった。まぁ、どうでもいいようなことかもしれないけれどね。いい映画だとは思うけれど、日本のアニメを代表するというのは少し言い過ぎだと思う。この映画に負けない、いや勝るような作品だっていくつもあるはず。
ちなみに、瀧がまだ三葉のことを知らない3年前の彼に会いにいくシーンがあるよね。ボクはあれと同じ体験をしている。大人の妻が、中学生のボクに会いに来たという不思議な話。あのシーンを見て、ボクは瀧の気持ちがよくわかった。
そのときの体験は、わたしの不思議体験というブログの記事で書いている。リアル『君の名は。』なので、気になる人は読んで欲しい。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。