死刑は無力
今日はなんとかブログを書けそう。朝は普通にログインできたけれど、夕方のブログを書こうとしてログインすると、また昨日と同じような症状。
今夜も休みかと諦めかけたとき、なんとかログインできた。こうして書きながらも、ボツにならないか不安でいっぱい。
最近はサーバーが不安定なことが多いので、改善されることを願うばかり。あ〜あ。今日も文句から始まってしまったw
神戸はすっかり春めいてきて、急な坂道を上っていると暑いと感じるようになった。今週の木曜日は3月だものね。梅はあちこちで満開だし、今日は桃の花も見つけた。チンチョウゲも今すぐにも咲きそうで、桜のつぼみもふくらんでいる。ワクワクするなぁ。
そんな春の楽しい気分と正反対になりそうだけれど、大勢の人に読んでほしいと感じた小説がある。
『虚ろな十字架』東野圭吾 著という小説。
これは死刑制度について、読者に問いかけた作品。東野さんは、物語を通して死刑の是非について述べてはいない。ただ死刑という制度に対して、本質的な疑問が投げかけられている。それは死刑に意味があるのかどうか、ということ。
主人公の中原は、11年前に幼い娘を強盗に殺される。強盗殺人は、死刑か無期懲役だ。だが犯人は過去の殺人事件で無期懲役を受け、仮釈放の身分だった。だが弁護士は徹底的に死刑を排除しようとする。
中原は妻の小夜子と協力して、なんとか高等裁判所で犯人の死刑判決を勝ち取る。弁護士は控訴しようとしたが、犯人自身が控訴をせず、死刑が執行される。
だけど中原夫婦の心は癒されない。最終的に二人は離婚することになる。その後、妻はフリーライターとして、殺人者は死刑にするべきだということを世に訴えることに執念を燃やす。そんなある日、今度は小夜子が強盗に襲われて殺される。
中原は元妻の死の真相に迫りながら、死刑制度に対して自分の心が揺れるのを感じていく。物語の中盤すぎで、中原は自分の娘を殺した犯人を弁護した弁護士に会う。弁護士は控訴しようとしたが、犯人が死にたいと漏らしたのが上告しなかった理由だと知る。そして中原は、その弁護士の言葉に衝撃を受ける。
『死刑は無力』
ボクもこの部分を読んでいて、強い衝撃を受けた。ボクは死刑反対の立場だけれど、もっとも大きい理由は冤罪が存在すること。だけどこの小説では、死刑についてもっと深いところまで踏み込んでいる。
中原の娘を殺した犯人は、ちっとも反省などしていなかった。ただ裁判に疲れ切っただけ。突発的な殺人だったことを偽装するのにウンザリしていた。人間はどうせいつか死ぬ。それなら死期のわかっている死刑を選択するほうがいい。上告しなかった理由はそれだけ。
中原夫婦が必死で勝ち取った死刑判決だけれど、犯人の心を後悔に追い込んだわけじゃない。そして自分たちも、犯人の死刑を知っても心は癒されない。死んだ娘は帰ってこないし、夫婦の絆も元に戻らない。せっかく勝ち取った死刑なのに、それがまったくの『無力』だったことを思い知る。
小夜子の殺人犯を追う過程で、もう一人の人物に焦点が当てられる。とても有能な小児科の医師で、大勢の難病の子供の命を救っている。そして詐欺師に騙されて妊娠させられた女性と結婚して、その子を自分の子供として育てている。
そんな医師を突き動かしているのは、10代のころに犯した犯罪だった。恋人が妊娠してしまい。育てられないと判断した二人は、生まれたばかりの子供を殺して埋めてしまう。その罪悪感を償うために、小児科として大勢の命を救っていた。
中原の元妻の小夜子は、殺される直前にその医師の秘密を知り、自首しないと警察に通報すると脅す。娘を殺された経験がある小夜子は、どうしてもその医師が許せなかった。そしてそれが事件の原因だった。
本当に深い、とても深い物語。その医師の妻が、必死で小夜子に訴えるシーンが心に残っている。
「夫は過去に犯罪を犯したかもしれないけれど、20年間も償い続けてきた。大勢の子供の命を救い、自殺しようとした私と息子の命も救ってくれた。もう十分でしょう」と泣き崩れる。
『死刑は無力』という言葉ば、ボクの心に傷跡のように残っている。そしてその部分がチクチクと痛み、死刑について考えてしまう。大勢の人に読んで欲しい、と心から思った作品だった。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。