めちゃ純愛やんか
ボクはいつもあわてている。今も、めちゃあせっている。
と言っても、このブログを書いているときのこと。朝と夕方にブログを書いているけれど、実は時間制限を設けている。
最低でも1000字、多くても2000字までという文字数で、およそ40分以内に書くようにしている。ブログを書き上げなくてはいけない時間に、あえて次の予定を入れ込んでしまう。だからなんとしても書かなくてはいけない。
その理由はいくつかある。まずは怠けごころに対処するため。人間はすぐに楽なほうに逃げようとするからね。
もうひとつの理由としては、短い時間で規定の文字数を書く練習。そのためには事前に書く内容を決めておいて、おおよその構成を決めておかなければいけない。すると普段からいろんなことに好奇心が向けられし、自分の頭で考える癖がつくから。
書くという行為は、インプットがあってこそできる。決められた期日と時間内で、ある分量のものを完成させる。ボクはブログという場を、そのためのトレーニングとして位置付けている。
そして当然ながら、質も上げていかなければいけない。だからこそブログを使っている。自分のパソコンに書くだけだったら、他人の評価はわからない。ブログとして公開することで、書いたものの反応をフィードバックできる。
テーマを選ぶのも苦労するし、アップしてから満足のいかない文章になっていることもある。だけど不思議なんだけれど、自分でイマイチだと思っていた記事が、以外に大勢の人に読まれていたりする。だからとても勉強になる。ということで、今も時計と文字数をにらめっこしつつ、キーボードを叩いている。
最近は読書や映画で恋愛づいているけれど、これまた純愛物語の映画を観た。でも主人公は人間じゃない。ドラキャラ伯爵だった。
『ドラキュラ』 (原題:Bram Stoker’s Dracula)という1992年のアメリカ映画。なんとこのモンスター映画の監督は、あのフランシス・フォード・コッポラなんだよね。コッポラがこんな映画を撮っているなんて、ボクは恥ずかしながら知らなかった。
この原題にあるブラム・ストーカーというのは、ドラキュラ小説の原作者のこと。だからモンスター映画としてではなく、本来の原作に沿って作られた作品だということ。
ボク世代だと、ドラキャラ役で思い出すのは、クリストファー・リーという俳優さん。若い人には、『ロード・オブ・ザ・リング』のサルマン役だと言ったほうがわかりやすいかも。
でもこの映画のドラキュラはゲイリー・オールドマンが演じている。そして400年前のドラキュラの妻であるエリザベートと、その400年後である19世紀終わりのミナという女性を、ウィノナ・ライダーが演じている。とても綺麗だった。
さらにそのミナの婚約者に、まだ『スピード』でブレイクする前のキアヌ・リーブス、ドラキュラを追いつめるヘルシング教授がアンソニー・ホプキンスという豪華な脇役陣となっている。
映画はドラキュラが人間だった時代から始まる。トルコの侵攻を受けたルーマニアの城主であるドラキュラ伯爵は果敢に戦う。ところが城を留守にしているあいだ、夫が死んだと騙された妻のエリザベートは身を投げてしまう。
自殺するとキリスト教では救われない。キリスト教のためにイスラム教のトルコと戦ったのに、ドラキュラ伯爵は絶望する。そして怒りのあまり神に復讐するため、吸血鬼として永遠に生きることを選択する。
ところが400年後、ドラキュラはエリザベートに瓜二つのミナを知る。妻の生まれ変わりだと信じたドラキュラは、ミナを吸血鬼に変えて、二人で永遠に生きようとする。でもこれは純愛物語。
本当にミナを愛したドラキュラは、彼女を吸血鬼にするのを諦めようとする。ところがそのミナは、婚約者がいるにも関わらずドラキュラに心惹かれる。そして彼の血液を飲んでしまう。
ミナはドラキュラとともに過ごそうとするが、婚約者のジョナサンやヘルシング教授はドラキュラからミナを奪い返そうとする。そして戦いが始まる。
ラストが切ない。ミナはドラキュラが苦しんでいることを知る。愛する妻を失い、ずっと神を恨んできた。それゆえ死ぬことができない。そこでミナは決断する。ドラキュラの魂を救おうとして、彼の心臓を杭で刺し、頭部を切り落としてしまう。ドラキュラはこれで永遠の眠りにつくことができた。
なんだか、とっても切なくて胸がキュンとなる純愛物語だった。ドラキュラ伯爵の原作って、こんな物語だったんだね。さすがコッポラ。この時代としては、見事な特殊撮影だったと思う。映画全体に流れている世界観が、ドラキュラが400年ものあいだ抱えてきた哀しみを語っていたと思う。
想像していたより、ずっと素敵な作品だった。ボクは、このドラキュラが好きだなぁ。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。