天才だって、めちゃ苦労してる
今日は3月11日ということで、Twitterでは東北の震災関連の投稿が多い。ボクは天邪鬼なので、あえてブログでは震災に触れない。Twitterで少し呟いたけれど、大災害に関して後世に伝えていくべきものは、復興に向けた人間の力強さだと思う。これは戦争でも同じだよね。
それは神戸で暮らしていて、常に実感している。自宅の玄関から神戸の高層ビル群を見ていると、人間というのは不屈の精神を持っているんだと実感できる。そしてそれを具現化するだけの行動力もある。それは個人単位でも同じだろう。
そんな不屈の精神を、ある著名な作家が見せてくれている。とても勇気づけられる本を読んだ。
『小説の効用・青べか日記』山本周五郎 著という本。
時代小説の作家として、知らない人はいない山本さんの、小説以外の文章を集めた本。エッセイや解説文、自作の紹介文等も含まれている。後半の『青べか日記』は、公開されている著者の本当の日記。対談記事なども収録されている。
恥ずかしながら、ボクは山本さんの小説を読んだことがない。ボクが生まれてすぐくらいに亡くなっている作家なので、あまり著作に触れる機会がなかった。だけど名前はあちこちで目にする。それは映画やドラマの原作者として。
代表的なものでは、黒澤明さんの『赤ひげ』という映画の原作だろう。脳裏に浮かぶのは、三船敏郎さんと加山雄三さんの姿。人間の心情を描く作家として、多くの作品を残されている。
そんな山本さんの素顔が垣間見れる、とても興味深い本だった。勉強になったし、小説を書き続けていく勇気をもらえた。
今でさえ純文学と大衆小説をジャンル分けする傾向がある。芥川賞と直木賞があるからね。そんな大衆小説の大家として知られている山本さんだけど、小説について明確に述べられている。
小説における純文学と大衆小説なんて、どうでもいい。いい小説と、悪い小説があるだけだ、というニュアンスの言葉だった。なんか、ストレートでいいよね。山本さんが大衆小説と呼ばれる分野で書くことを決められたのは、酒場で他の作家とケンカしたのがきっかけだったとは知らなかった。
この本を読んでいてめちゃ笑ったエピソードがある。時代小説を書くのに、史料を調べることが大切なのは当然。だけど調べただけで完成したと思っている人が多い。土台としての資料は必要だけれど、大切なのなやはり内容。史実が合っていても、人間が書けていないと小説ではない、と言っておられた。
その例として紹介された、友人の話題に爆笑してしまった。ある友人が家を建てた。その人は完成した家に山本さんたちを招いて、ひたすら土台の自慢をしたらしい。家というのは土台が大切で、この家の土台にどれだけの金をかけたかを披露された。
その言葉に嘘はなかった。強烈な台風がやってきたとき、土台だけを残して家のすべてが吹っ飛んだらしい〜〜! どれだけ土台が大事でも、家がなくては食べることも眠ることもできないという教訓。マジで爆笑してしまった。
もっとも読み応えがあったのは、後半の日記。昭和3年から4年にかけて、山本さんは千葉の浦安に住んでおられた。20代の半ばのころ。まだ売れない文筆家であって、どの出版社に持ち込んでも拒絶される。その気持ち、ボクもリアルにわかるw
おまけに勤めていた会社をクビになった。婚約者も逃げてしまう。お金が無くなったので所蔵していた本を売って、どうにか日銭を稼いでいる状態。それでも自分を信じて文章を書き続けた。
「貴様は選ばれた男だぞ、忘れるな。いいか、起て。起てそしてしっかりとその両の足で立ち上って困苦や窮乏を迎える、貴様にはその力があるぞ」と自分を鼓舞して文章を書いておられた。
ときには絶望するし、自己嫌悪におちいる。だけど何度も先ほどの言葉を自分に言い聞かせて、小説に情熱を注いでおられた。時代がちがうとはいえ、山本さんほどの天才でも、不遇な時代があったということ。この日記を読むだけで、気の毒なくらい苦労されていたのがわかる。
今のボクにとって、最高の本だった。こうなったら、山本さんの小説を読まなくてはね。束になっている本が一段落したら、読んでみようと思う。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。