無意味な嫌悪感
たまたま30分早起きしただけで、いつもより仕事が進んだ。判で押したような生活をしているもんだから、すべての行動が30分早くなる。
だから仕事にかかる時間も早くなったんだけれど、それが功を奏したらしい。時間が長めにあるという気持ちの余裕のせいか、かえって伸び伸びと書くことができた。気分というのは、不思議なもの。その勢いで、午後の仕事もいい雰囲気だった。
気分や感情は、人間の行動に影響を与えると思う。ちょっとしたことでモチベーションが高まったり、些細なことでテンションが下がったりする。別にそれは、ポジティブなものばかりじゃない。ネガティブな感情が、やる気を奮い立たせてくれることだってある。
ポジティブであってもネガティブであっても、人間を前に進めてくれる感情は大切にしたい。ところが無意味な感情というものもある。人間を動かす原動力にならない感情があるように思う。
今日の映画を観ていて、そんなことを感じた。
『ファーゴ」という1996年のアメリカ映画。数々の賞を受賞したとのことで、期待して観た。それも主演している女優さんが、フランシス・マクドーマンド。今年のアカデミー主演女優賞の受賞者だから、期待して当然。
たしかに妊婦の警察署長役を演じた彼女の演技はよかった。この映画でもアカデミー主演女優賞を受賞しているのだから当然だろう。だけどこの映画に関しては、ボクは最初から最後まで共感できなかった。
自動車販売店で勤務するジェリーは借金で苦しんでいた。そこで妻の狂言誘拐を思いつき、金持ちである彼女の父親から多額の身代金をせしめようとする。気が弱いくせに、とんでもないことを考える。それも困ったことに、素性が定かではない二人のチンピラを雇う。
妻の誘拐に成功したけれども、そのチンピラは職務質問されて警官を殺してしまう。さらに目撃者の二人も。最終的に誘拐された妻も死ぬし、身代金の交渉に立った妻の父親も射殺される。チンピラも金の奪い合いで一人が殺される。
ブラックコメディをうたった映画らしいけれど、とてもじゃないけれど笑えない。ひたすら嫌悪感を覚えるだけだった。だけど映画における嫌悪感がダメというわけじゃない。この映画の嫌悪感が、無意味なのでついていけなかった。人を殺すことに必然性を感じない。そもそも必然性など存在しない殺人に対して、せめてフィクションなら理由が欲しかった。
これは実話です、という映画の始まりもあざとい。完全なフィクションなのに、冒頭でそのテロップが流れることにしらけてしまう。実際にこの映画が事実だと思い込んで、隠された身代金を探すという事件もあったらしい。どうせ嫌悪感を見せてくれるのなら、心が動くような意味のあるものにして欲しかった。
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