独り言ばかりの人たち
長かったけれど、ようやく新しい小説の初稿が完成しそう。うまくいけば明日中、遅くても明後日にはできるはず。これでようやく大好きな推敲に入れる。
バシバシにチェックして、不要な部分をぶった切って行く快感は、やったことのある人しかわからないだろうなぁ。そして書き直すのもめちゃ楽しい。文章の書き直しが嫌いな人は、書くことに向いていないと思う。
ボクなんか時間がある限り書き直し続けたいと思う人間だから、アメリカの作家のレイモンド・カーヴァーと気が合うだろうな。彼は最後の最後まで書き直そうとしない作家なんて、他の仕事をしたほうがいいとまで言った人だからね。できるだけ早く仕上げて、楽しみを享受したいと思っている。
さて今のところ、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長との会談はうまくいっているみたい。まだ宣言文を読んでいないけれど、朝鮮半島の完全非核化が宣言されたらしい。これは本当に素晴らしいことだと思う。
何だかんだ言われているけれど、トランプ大統領は歴史に名を残すことになりそう。それもいい意味でね。直前に会談を中止すると言い出し、あの駆け引きのうまさはさすがだと思った。結果論になるけれど、過去の大統領でここまで実績をあげた人はいない。日本の拉致問題もあるけれど、とにかく無事に、そしていい方向で会談が終わればいいなと願うばかり。
紀元前44年にも、このトランプ大統領のような人がいたら、大勢の人が命を失うことはなかったかも知れない。そんなことを感じる映画を観た。
『ジュリアス・シーザー』という1953年のアメリカ映画。シェークスピアの戯曲を映画化したもの。出来事は有名なのでよく知っているけれど、戯曲の映画化に興味を持ったので観ることにした。
ローマ帝国で権力を握ったジュリアス・シーザー。民衆の強い支持も受けている。ところが彼の独裁を快く思わない人は大勢いた。そんな連中に担ぎ上げられたのがブルータスで、彼はシーザー暗殺のリーダーとなる。
「ブルータス、お前もか!」というシーザーの有名なセリフは、この戯曲から生まれたもので、もちろん映画でも使用されている。史実が示すとおり、シーザーは暗殺され、ブルータスが一時的に実権を握る。
だけどシーザーの腹心の部下だったアントニーによって、ブルータスは自決するという物語。物語としては好きなんだけれど、この映画はなかなか観ていてしんどかった。
というのは戯曲を映画化しているので、舞台で演じることが前提のセリフになっている。やたらと『独り言』が多い。いや、独り言ばかりかも。だから笑えてきて、そのうち退屈になってしまう。そこまで言うか、というような気持ちになってしまう。
でもこれが舞台だと、こんな脚本でないと伝わらないんだろうね。映画はカメラの効果を活用することで、人間の気持ちを表現することができる。だけど広い舞台では、俳優さんのセリフによって気持ちを表現しなくてはいけない。だからどうしても独り言が増えるのだろう。
この映画の見どころは、民衆のいい加減さだと思う。シーザーを圧倒的に支持していた民衆は、シーザーを手にかけたブルータスの演説に魅了される。そして彼を支持して、シーザーを逆賊扱いする。
ところがその舌の根も乾かないうちに、今度はシーザーを追悼したアントニーの演説に興奮する。そして裏切り者のブルータスを殺せ、と暴動に走る。これは今でも同じかもしれない。自分の頭で考えることなく、周りの空気に流されてしまう人は多い。
暴君の恐ろしさより、民衆の愚かさによる恐怖を見せつけられた作品だった。アントニーを演じたマーロン・ブランドが、未来のゴッド・ファーザーとつながらないほど若くてカッコよかったなぁ。
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