愛ゆえに生まれる憎しみ
台風は神戸の真上を通過していった。午前1時ころに伊勢市付近へ上陸した台風は、奈良から大阪へ抜けて、明け方にボクの頭の上を通り過ぎたらしい。
台風のおかげでかなり涼しい。朝に窓を開けたときなんか、もう秋が来たかと思ったほど。そんな過ごしやすい気候なのに、かなり寝不足気味。だって深夜から明け方まで、大雨が強い風をともなって窓やマンションに吹きつけるので熟睡できなかったから。
眠っては覚めてのくり返しで、変な夢ばかり見ていた。もともと睡眠が浅い人間なので、台風に直撃されたらまともに眠れない。今日は静かな夜になりそうなので、昨日の分も眠らなくては。
ニュースを見ている限り、今のところはこの前の豪雨のような大きな被害は出ていないみたい。それでも高波に自動車が飲まれたり、屋根が吹き飛ぶという被害も出ている。今は九州に向かっているようだけれど、大きな被害が出ないことを祈っている。
さて、ちょっと懐かしい映画を観た。でも今観ても特に違和感はないし、大勢の人の心に訴えるものがある作品だと思う。
『A.I.』(原題:A.I. Artificial Intelligence)という2001年のアメリカ映画。元々はスタンリー・キューブリック監督の企画だったらしい。だけど彼が亡くなったことで、スティーブン・スピルバーグがメガホンを取っている。
こんな切ない映画はないよね。久しぶりに観たけれど、やはり辛くて何度も泣いてしまった。『愛すること』をプログラムされた少年AIのデイビッド。モニカという、不治の病で冷凍保存された息子を持つ女性を本当の母親と思い、永遠に愛し続けようとする。モニカもその愛に応えようとする。
だけど息子が奇跡的に治癒する。そこで代理息子だったデイビットは邪魔になってしまう。モニカは愛を注ごうとするが、本当の息子は実の母を奪われたくない。結果としてモニカと夫はデイビットを手放す決意をする。
だけどメーカーに戻せば廃棄処分になる。モニカはデイビットを廃棄することができず、一人で生きるように逃がそうとする。でも実質的には捨てるのと同じ。ちょうどこの写真のシーンなんだけれど、これを見ているだけで涙が出てくる。
このデイビットが泣き叫ぶ姿が、ボクの少年時代と重なってしまう。子供、特に少年に取って異性の母親に見捨てられるほど辛いことはない。デイビッドを演じているハーレイ・ジョエル・オスメントは天才子役だから、彼の演技によって臨場感が半端ない。マジで胸が痛くなる。
ここからデイビットの長い、とてつもなく長い旅が続く。自分が本当の人間になれば、きっとママはまた愛してくれる。それを信じて、必死で人間になろうとする。このことを書いているだけで、また涙が出て来た。辛すぎる。
エンディングでは、デイビットの願いが実現する。だけどそれには2000年もの歳月を要したのに、その願いがかなうのはたった1日だけ。スタンリー・キューブリックのファンは、最後にこのシーンを持って来たスピルバーグを批判した。
だけどスピルバーグは、キューブリックがこのラストシーンを構想していたと明かした。それゆえに、このシーンをどうしても彼が撮る必要があったとのこと。
予定調和を望まない人は、デイビッドが凍りついた時点で終わらせるべきだと思うだろう。その気持ちはわかる。物語としての完成度は高いだろう。
だけどボクはこの映画のラストシーンを入れるべきだったと思う。だってあまりにもデイビットが気の毒すぎる。たった1日でもいいから、彼の願いをかなえてあげたい。水の底で奇跡を信じて凍りついたままなんて、あまりにひどすぎる。
エンディングに向かう前に、もうひとりのデイビッドを見つけたデイビッドは、そのロボットを怒りに任せて破壊する。モニカを愛するあまりの行動だった。誰にもママを奪われたくない。
愛するがゆえに、生まれる憎しみもある。怒りの感情を爆発させたデイビッドの姿は、ボクには愛おしく見えた。そんな憎しみが存在してもいい。久しぶりに観たけれど、本当に素敵な映画だと再認識した。
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