死人を殺すのは罪になるのか
中年になると涙もろくなるのか、映画を観ても、小説を読んでも、感動するとすぐにウルウルしてしまう。過去に触れたものであまり感動した記憶がなかった作品でも、今になって体験するとボロボロ泣いてしまうことがある。
そんな状態のボクだから、思いっきり心を揺さぶられると大変なことになる。読み終えたとき、涙腺が完璧に崩壊して泣き崩れてしまった小説がある。
『人魚の眠る家』東野圭吾 著という小説。今年の11月に映画化されることを知って、未読なのに気がついた。それで読んだけれど、とんでもない小説だった。
ここから先はネタバレになるので、11月の映画を楽しみにしている人は注意して欲しい。だけど映画を観るかどうか迷っている人なら、ぜひこの物語の世界観を知って欲しい。
主人公は播磨薫子という女性、6歳の娘と4歳の息子がいる。夫の浮気が原因となって別居中で、離婚を検討している。だけど長女の瑞穂の小学校受験が終わるまでは夫婦でいてもらえるよう、夫の和昌に頼んでいた。
ところが長女の瑞穂はプールで事故に遭い、ほぼ脳死だろうと医師が判断を下した。当然ながら薫子と和昌の両親は、脳死判定が出た際の臓器提供意思を確認される。
夫婦は相談して臓器提供を決意するが、その当日にあることが起こる。かすかだけれど、瑞穂が手を動かした。薫子は娘が死んでいるとは思えず、脳死判定を拒絶して、治療の継続を望む。そしてさらに驚くことが起きる。
夫の和昌は最先端の医療機器を開発している会社の社長で、娘の瑞穂にそうした技術を導入する。脳がほとんど機能していないのに、特殊な装置で自発呼吸をさせたり、脊髄に電気的な刺激を加えることで手足を自ら動かせるようにする。
それによって瑞穂の生理機能や筋力は正常値を保ち、まるで眠っているだけのようになる。娘が生きていると信じる薫子は、狂ったようになって娘の世話をする。なんと3年ものあいだ、そんな状態が続く。
だけど薫子を除いた周囲の人間は、夫の和昌を含めて瑞穂は死人だと思っている。ただ機械で動いているだけの人形と同じ。だけど薫子は認めない。追い詰められた薫子は、家族のいる前で警察を呼ぶ。そして娘の瑞穂の胸に包丁を突きつけた。
「この子を殺したら、わたしは殺人になるのかどうか教えて欲しい」と駆けつけた刑事を問い詰める。夫も含めて家族のすべてが、娘の瑞穂は死んでいるという。だったら娘の心臓を刺しても殺人罪にならないはず。
だけどもし殺人罪で逮捕されたとしたら、それは娘が生きていたことの証明になる。娘が生きていることを警察が証明してくれるなら、自分は刑務所に行ってもいいとまで言う。このシーンはあまりに壮絶で、読んでいて身体がガタガタと震えてきた。
この物語の結末を書くのはやめておこう。だけど最後にすべてが必然だったことがわかり、涙が止まらなくなる。薫子と瑞穂の3年間が無駄ではなかったことを知ったとき、ボクは号泣してしまった。今こうして書いていても、涙が出てくる。
脳死は人間の死なのか? そのことを読書に強く問いかけてくる作品だった。この播磨薫子を、篠原涼子さんが演じるとのこと。うん、ピッタリだと思う。ボクのイメージ通り。
映画を観たいけれど、人目をはばからず泣いてしまいそう。映画館に行くのなら、フェイスタオルを用意していかなければ。
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