真実しか伝えられないもどかしさ
インスピレーションがやってくるときって、ボクの場合はお風呂が多い。特に入浴後のお風呂掃除中に、小説のアイデアが降りてきたり、登場人物が話しかけてきたりする。
ところがそのままお風呂掃除を続けていると、出てきた段階で忘れていることが多い。運良く覚えていても、風呂上がりのバタバタが終わってメモしようと思っても内容を思い出せないことがある。
昨晩は風呂掃除を始めたとたん、いくつもメッセージがやってきた。これは無理だとすぐに判断したボクは、妻に向かって『スマートフォン持ってきて〜!」と素っ裸で叫んでしまったw
おかげで無事にメモできて、今日の午後にはパソコンへ記録することができた。ボクのiPhone6sは防水じゃないし、お風呂でスマートフォンを見るという習慣もない。そんな暇があるなら、とっとと入浴を済ませたい。
もしiPhoneXRに機種変更して防水機能がついても、風呂には持って入らないだろう。また裸で叫ぶしかないかなwww
さて、今日のブログのタイトルを見て、「昨日と同じやん」と思った人がいるかもしれない。だけどちょっとちがう。
昨日は『真実を伝えられないもどかしさ』で、今日は『真実『しか』伝えられないもどかしさ』というタイトル。それはこの映画を観たから。
『ライアー・ライアー』という1997年のアメリカ映画。ボクも妻も大好きで、ボクは少なくとも5〜6回は観ていると思うけれど、妻はもっと観ていると思う。
久しぶりに観たけれど、やっぱり笑い転げた。そして感動して幸せな気分になった。
このブログでも何度か触れている映画なので、今さら内容についてはいいだろうね。簡単に言えば、24時間という限定で嘘をつけなくなった男の物語。それも職業が弁護士で、どうしても法廷で嘘をつかなけれればいけない裁判が控えている。
家族愛を描いた物語でもあって、主人公のフレッチャーが嘘をつけなくなったのは、ひとり息子の誕生日の願いだったから。どうにかしてその願いを取り消してもらおうとして、フレッチャーは息子に言う。
「大人は、どうしても嘘をつかなければいけないことがあるんだ」
これは本当にそう。心に浮かんだことをそのまま口にしていたら、あちこちでトラブルが起きるだろう。殺人事件やテロも今以上に増えると思う。自殺する人だって後を絶たないだろう。人の心を傷つけないための嘘だってあるんだから。
嘘があるから、ドラマが生まれる。大っぴらに嘘をつきたいなら、小説を書くのが一番かもね。ある意味作家のほとんどは、妄想癖のある嘘つきだと思うよ。ボクも含めてねwww
でも人を感動させる嘘ならいい。それが物語の持つ魔法だと思う。嘘だとわかっていても、読者は自分のことのように感情移入できる。自分が体験できないことを、作家の嘘によって擬似体験できるのが小説だろう。
とにかくよくできた映画だと思う。笑いつつも、嘘によって人間社会が微妙なバランスを維持していることを痛感させられる。久しぶりに大笑いして、気分がスッキリしたなぁ。
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