『それ』が見えたら、終わり
今日のブログのタイトルは、ある映画のキャッチコピー。その映画はまだ観ていないけれど、この言葉だけで原作を読みたくなった。
そして昨日、ようやくその全貌を読み終えた。まさにこのキャッチコピーとおりだった。
『IT』4 スティーブン・キング著という小説。全部で第4巻まである。第3巻までの感想は『完全に蘇った凄惨な記憶』という記事を読んでもらうと、さかのぼってチェックしてもらえるはず。
27年前に『IT』と戦った6人の少年と1人の少女。11歳だった彼らは殺したつもりだった『IT』が復活したことを知り、約束を守るためメイン州のデリーという故郷に戻る。ちなみにこのデリーは小説だけの架空の街。
前回の第3巻では、27年前に何があったのかが物語の中心。デリーを離れた彼らは、『IT』の魔力によって記憶を消されていた。だけどデリーに戻ってきたことで、少しずつ記憶を取り戻していく。
ところが第3巻では『IT』に対して銀の玉で負傷させただけで、本当の対決は『IT』の巣である地下の下水道で起きていた。この第4巻ではその記憶が完全に蘇る。そして27年前と同じように彼らは地下へと向かう。
この第4巻がすごいのは、27年前と現在が同時進行していくこと。読者は過去に何が起きたかを知りつつ、これから何が起きるかを目撃していく。その巧妙な構成によるリアリティ感は半端ない。ページを繰る手が止められなくなる。
『IT』はどんな姿にも化けることができる。だから遭遇した人間が最も恐れているものが、具体的な姿となって襲いかかる。たとえば『リング』の貞子が怖い人なら、『IT』は貞子になって襲いかかる。人間の抑圧された無意識を表出させることで、恐怖に包まれた人間を餌にしていた。
そんな怪物に子供たちが勝つことができたのは、やはり想像力が理由だった。人間の想像力を攻撃する『IT』にとって、それは弱点にもなりうる。柔軟で自由な想像力を持つ子供が恐怖を克服すると、逆にそのイメージによって傷を負う。11歳のときにとどめを刺せば良かったけれど、少年たちはしくじっていた。
果たして大人になった彼らに、子供のような自由な心を取り戻せるかどうか? 勝負の鍵はそこにあった。大人は恐怖を知っている。苦痛や苦労を経験してきたことで、人生が思うままにならないことを心に刷り込まれている。だから『IT』にとって大人を操るのは簡単だった。
そのうえ7人のうち一人は恐怖のあまりデリーに来る前に自殺している。そして対決の前日、もう一人が重傷を負わされた。地下へ向かったのは大人になってしまった5人だけ。もう子供じゃない。
そんな彼らが勝つことができたのは『チュードの儀式』を思い出したから。まったく予想を超えた儀式だった。気になる人は本を読んで欲しい。とにかく『信頼』と『生』のパワーを生み出すもの。
最終的には5人のうち一人が生命を落とす。7人のうち生き残ったのは5人。だけどエンディングは切ない。彼らは目に見えない『善』の力で動かされていた仲間だった。だから目的を終えてデリーを出ると、あれだけ愛し合い、信頼しあった仲間のことを完全に忘れてしまう。
名前さえ思い出せなくなる。ボクは切なくなって号泣してしまった。こうして書いていても涙が出てくる。
大人になるって、忘却することなのかもしれないね。子供のころ出来事や友情なんて、いつしか消えてしまう。これまで数えきれない人と出会い、数えきれない人と別れてきた。思い出すことさえない人もいる。
二つの時代を行き来するこの小説を読んでいると、おそらく誰もが心の奥を激しく揺さぶられてしまうと思う。機会があれば、2017年に公開された映画を観ようと思う。この感覚を味わえるかどうかわからないけれど。
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