こんなことが毎日起こるなんて
どうしてこんなことが起きるんだろう? 今朝のブログでも書いたけれど、川崎の事件のショックが抜けていない。
自殺した犯人は特定の誰かを狙ったわけじゃなく、この社会そのものに不満と怒りを持っていたんだと思う。こんな精神状態の人間に「ひとりで死ねよ」なんて言うのは無駄でしかなく、むしろ火に油を注ぐことになりかねない。社会への怒りを助長するだけだろう。
ここのところ普通に生きている人が命を落とす事故や事件が多い。アクセルとブレーキの踏み間違えによる事故であれ、今回のような常軌を逸した人間による事件であれ、いつ誰が巻き込まれても不思議じゃない。身を守るための方策なんて追いつかない。
昨日ある小説を読み終えた。そのなかでジョン・コーフィーという登場人物が語る印象深いセリフがある。ボクは今朝の事件を知って、すぐにその言葉が心でリフレインした。ジョンは死刑判決を受けている。
看守主任であるポール・エッジコムは、双子の少女を強姦して殺害したのは、このジョンではないことを確信していた。そして真犯人がウォートンという囚人であることも。だけどなぜ双子の姉妹が悲鳴をあげなかったのかが気になっていた。
そのことをジョンに尋ねると、不思議な能力でウォートンの心を読んだジョンが答える。「騒いだらもう一人を殺す」と双子に言ったらしい。そしてこのセリフをジョンが吐き出す。
「ウォートンは、姉妹の愛を利用して殺した。姉妹は愛し合っていた。これでわかっただろう。こんなことが毎日起こってるんだ。世界中で、毎日」
なんて切なくて、悲しいセリフだろう。いまこうして書いているだけで涙が出てきた。
『グリーン・マイル』スティーブン・キング著という小説を読了した。本来は6冊に分けられた物語を一つにまとめた書籍なので、二段書きで450ページあるという大作だった。だから読了するのに5日もかかってしまった。
だけどそれだけの価値がある作品だった。映画は当然ながら公開当時に観ている。先ほど書いたポールという看守主任をトム・ハンクスが演じている。映画でも号泣するほとの感動作だけれど、原作はもっとすごかった。昨晩なんて泣き通しだった。
冤罪で死刑囚となった黒人のジョン。彼が逮捕されたのは、殺された二人の少女を生き返らせうようとしていて失敗したときだったから。つまりイエス・キリストのようなヒーリング能力を持っている。それも半端じゃない。
ポールの持病を一瞬で治療してしまうし、パーシーという名の極悪非道な看守が殺したネズミを生き返らせている。余命宣告を受けていた刑務所長の妻の病気も彼の奇跡によって治している。
ポールは調査によって無実だと知るけれど証拠がない。ましてや1932年という時代なので、黒人への再審を裁判所が認めることなんてありえない。ポールと部下の看守たちは、無実だとわかっているのにジョンの死刑を執行しなければいけなかった。それも電気椅子が使われていた残酷な時代。
看守たちの言葉が切ない。「俺たちは神の贈り物を殺すのか」と嘆いている。
だけど死刑執行は、ジョンの希望だった。それが先ほど紹介したセリフに表現されている。
死刑執行を前にしてポールがジョンに訊く。
「最後の審判の日、神の前に立った時、神は俺に尋ねる。なぜ奇跡を起こせる者を殺したのかと。俺はなんて言えばいい?仕事だからと?」
ジョンはこう答えた。
「神には、親切なことをしたと言えばいい。あんたは苦しみ、苦悩している。感じるよ。だが、もういい。俺はもう終わりにしたいんだ。もう疲れた。雨の中を一羽だけで飛ぶツバメのように生きるのに疲れたんだ。一緒にいてくれる仲間もいない。どこから来てどこへ行くのかも、その理由も、教えてくれる者はいない。なによりも、互いに醜いことをし合う人間にも疲れた。毎日、世界中で起こっている苦しみを感じたり聞いたりするのにも疲れた。もう耐えられない。つねに、頭にガラスの破片が刺さっているようだ。分かってもらえるか?」
これを読んでいるだけでまた泣けてきた。そして今朝の事件が心のなかで重なってくる。
この作品は映画もいいけれど、ぜひ原作をオススメする。悲しくて切ないけれど、読み終えたときに自分のなかで何かが変わるのを実感できると思う。
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