人生の時間を浪費する他力体質
ボクがこれまでの人生で後悔していることがある。そして同じ後悔をしないよう、若い人たちに本気で伝えたいことがある。
それは、やりたいことがあるなら『いますぐ』やるべし! それに尽きる。
ボクの10代から40代をふり返ると、生き方が『他力体質』だったことを後悔している。いまさらどうしようもないけれど、ときどき深夜にそのことを思い浮かべては、悔しくて泣きそうになる。
自分の人生を好転させるには、『何か』を得なければいけない。そう思い込んで、ずっと自分の外に答えを求めてしまっていた。そして同時に、その『何か』を与えてくれる人を求めてしまう。『他力体質』であることは『他人依存体質』におちいりやすい。
お金がないと、基礎から学ばないと、霊能力を得ないと、修行をしないと、瞑想をしないと、過去生を知らないと、悟りを開かないと、自分が求めているものは得られないと思い込んでしまう。それが自分のやりたいことに関して、失敗を恐れた現実逃避であることにまったく気づかない。
典型的なのが、20代から30代にかけて通いまくったスピリチュアル系のセミナー。あるいはそれに関わるパワースポットめぐり。バシャールやエクトンのチャネリングセミナーに参加しては、彼らがボクに必要な『何か』を与えてくれると思い込んでいた。
それがダメなら別のセミナーを探し、そこで答えを求めようとする。自分の抱えている問題が、実はそうした『他力体質』であることがわからない。それで人生の貴重な時間をどれだけ浪費したことか。思い返すだけでゾッとする。
結局自分が求めるものを本当に得るには、『自力体質』しかない。つまりツバメのヒナのように口を開けて待っているのではなく、自ら羽ばたいでエサを探しに行かなくては何も得られないということ。
他人の意見や実績を参考にすることはできる。効率的に行動を進めるため、それらを活用することは必要だろう。だけど本質的に『他力体質』が抜けていない限り、自分で動けない理由を創造してしまう。『あれ』がいまの自分にないからできない、と言い出してしまう。
小説を書いていると、そのことが実感としてわかる。多くの作品を読んで、あらゆることに興味を持つのは大切。だけど実際に書かないと物語は始まらない。それらのインプットを活用する機会は訪れない。
大雑把なプロットしかできていなくても、書いているうちに問題点が明確になってくる。それは書かないと浮き彫りにならない内容であることが多い。そうして修正を重ねながら先に進むのが最短であり最適。完璧なプロットを作らないと書けない人は、おそらく永遠に物語を完成できないだろう。実際に書き始めないと見えないことが山ほどあるから。
ボクは若いころに『他力体質」であったことで時間を浪費してしまった。もっと早くから小説を書いておけばよかった、と本気で後悔している。何度もチャンスはあったのに。
こうなればその経験を物語に反映していくしかない。過去の時間を無駄にしないためにね。そしてこの先の人生を『自力体質』で突き進んでいこうと決心している。まもなく夏至という節目を迎えるこの時期、ボクはそんなことを考えている。
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