舞台裏での大活躍に感動
日々ボクたちは様々な経験を重ねている。それらの出来事はまぎれもない真実として、ボクたちの記憶に刻まれていく。
ところがそれがすべてではない。たとえばバスに乗って移動ししているとき、ボクは自分の視界に入っている人のことしか知らない。耳は聞こえている範囲の会話しかキャッチできない。匂いだって同じ。
だけど同時にボクの知覚している以外のことが、当たり前だけれど起きている。同じバスに乗っている人の会話、誰かの心の声、そのバスを見かけた通行人、マンションのバルコニーからバスを見ている人等、ボクの知らないことは天文学的な数字になるだろう。
つまりボクが現実だと認識しているのは、超、超、超せまい、ボクの自我がとらえたものだけ。だからそんなボクの知らない一面を感じたとき、不思議な気持ちを感じると同時にうれしくなる。
数年前のことだけれど、Googleカーとすれちがったことがある。ボクと妻が歩いている姿が、グーグルアースに写っていた。ちょっと離れた姿なんかも撮影されている。それを見たとき、同じ現実を別の視点から体験したような気持ちになった。そして、やっぱりちょっとうれしかった。
小説を読んていて、これと同じような経験をした。
『新編 風と共に去りぬ レッド・バトラー③』ドナルド・マッケイグ著という小説。全部で第6巻まであるうちの第3巻を読了した。第2巻までの感想については、『日本人と未遭遇のアメリカ』という記事に書いているの参照を。
他の本を読むために中断していた『風と共に去りぬ』のスピンオフ小説の続編。この第3巻では4年も続いた南北戦争がようやく終わりを告げる。歴史が示すとおり、物語の主人公たちが暮らす南部の敗戦となった。
この物語の著者は南北戦争に関する著作を多く記しているそうなので、戦争についてはかなり詳細に書かれている。これは映画では知ることのできないもの。勉強になったけれど、アメリカで起きた内戦のひどさに驚くばかりだった。
この第3巻は、映画でいえばインターミッションが入るあたりの前後。北軍の攻撃によってスカーレットが暮らしていたアトランタが燃え盛る。子供を産んで衰弱していたメラニーを連れたスカーレットが、レットに助けを求めるシーンは有名。
火の粉が降るなかを馬車で疾走する場面は、前半のクライマックスだろう。そしてスカーレットの故郷であるタラに近づいたところで、レットは女性たちを残して戦地に向かう。それまで戦争に反対していたレットだけれど、兵士たちの悲惨な様子を見て耐えられなかったから。
このあとスカーレットはタラに戻って故郷を再建するけれど、映画ではレットの再登場はそれらがある程度落ち着いてから、そのあいだ、戦争に行ったレットがどうなっているかわからなかった。
この小説はレットが主人公だから、そのあたりが詳細に書かれている。レットは果敢に戦った。所属する部隊が全滅寸前の危機にもあっている。さらに妹のローズマリーの夫であるジョンの戦死にも立ち会っている。このシーンはとても切なかった。ジョンは彼の親友でもあったから。
そして映画で触れていないけれど、レットには息子がいた。映画のアトランタのシーンで、やたら出てくるベルという名の娼婦を覚えている人はいるだろうか?
彼女はレットの幼なじみで、レットとの間に息子をもうけていた。息子はまだ14歳だったけれど、南北戦争の戦地に立っていた。レットは息子を救うために駆けずり回り、危機一髪で戦地から連れ出すことに成功する。そして息子をイギリスへ留学させる。
このシーンは、読んでいてハラハラドキドキの連続だった。当然ながら映画ではまったくスルーの出来事だけれど、舞台裏でレットがこんな大活躍をしていたとことを知って、めちゃめちゃうれしかった。
さて第4巻では、レットはさらにスカーレットと接近する。またまた映画の舞台裏を見られる気分なので、最高にワクワクしている。
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