狂信と篤信の境界線
反社会的でヤバい宗教にハマってしまう人の多くは、ある共通点を持っているように思う。
それは自分にはない他人の能力に魅了されてしまい、心を奪われてしまうということ。教祖によって病気が癒されたり、死者のメッセージを伝えられたり、あるいは超能力を見せられたりすると、その人物を盲信してしまう。一度でも信じてしまうと、それがトリックであるかどうかの判断もできなくなる。
そういう人は篤信者のつもりでも、気がつけば狂信者になっていることが多い。だから教祖がマスコミ等に叩かれることがあれば、平気で反社会的な抗議行動に出たりする。そしてこれは宗教に限ったことでもない。
自己啓発セミナーなんかでも同じような現象が起きる。マルチ商法のような悪質な商売でも見られる。他人の素晴らしい能力が自分にもたらされるかもしれない。そう思うだけで冷静な判断ができなくなる。
それが中世のような時代だと、さらに影響が強くなる。科学的に検証できないので、『神の御告げ』によって人間の集団心理はあっという間に翻弄されてしまう。今日観た映画は、まさにそのことをテーマにした作品だった。
『ジャンヌ・ダルク』(原題: The Messenger: The Story of Joan of Arc)という1999年のアメリカとフランスの合作映画。
ジャンヌ・ダルクを演じているのはミラ・ジョボビッチ。彼女はゾンビと戦っているアリスのイメージが強いけれど、この映画は『バイオハザード』よりも前の作品。『フィフィス・エレメント』の2年後なので、彼女が注目を集めだしたころの作品になる。
初めて観たけれど、この映画はミラ・ジョボビッチの代表作と言っていい。アカデミー賞に縁のない彼女だけれど、この映画の演技は過去の受賞者に勝るとも劣らない素晴らしさだった。
ジャンヌ・ダルクは著名人なので、彼女の生涯については割愛する。神の御告げを聞いて百年戦争の表舞台に躍り出たジャンヌ。イギリスをフランスから追い出して、皇太子を王位につけることが神の意志だと明言する。
この作品の見どころは、それが本当に神の御告げだったかどうかを疑問視しているところ。ジャンヌが暮らしていた村はイギリス軍に襲われ、愛していた姉がレイプされて無残に殺されている。少女時代にそれを目撃したジャンヌが、イギリス人に対する復讐心を持っているのは当然。
彼女の心を復讐が支配していて、心の声を神の意志だと思い込んだとしても、ジャンヌにとっては本当に神の言葉だったんと思う。そのことに疑いを持っていない。だから多くの兵士が彼に従ったのだろう。それほど『神のお告げ』は強い影響力を持っている。
ジャンヌを火あぶりにするときも、宗教家も政治家も責任を逃れようとする。なぜなら本当に彼女が神に使者だとしたら恐ろしいから。
そしてジャンヌ本人も、大勢の兵士が血まみれになって死んでいるのを見て愕然とする。それが本当に神の意志だったのか疑問に思う。そこから彼女の人生は葛藤の日々になる。このとき登場する『神』、あるいは『ジャンヌの良心』を演じたダスティン・ホフマンの役どころが絶妙だった。
監督のリュック・ベッソンは、ジャンク・ダルクが狂信者なのか、それとも神の使者だったのか結論づけていない。その判断を観客に委ねている。それはそのまま観客がジャンヌの葛藤に向き合うことになる。だからこそミラ・ジョボビッチの演技の素晴らしさが伝わってくるんだよね。
狂信と篤信の境界線について考えさせられる、とても素晴らしい作品だった。
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