歌うのは届けたい人がいるから
創作の苦労を経験したことがある人なら、必ず首をたてにふってもらえることがある。
それは、自分の作品がすべての人に賛同してもらえないということ。
小説、絵画、音楽等の分野だけでなく、俳優や芸人さん、あるいは路上でのパフォーマーのような人でも同じだと思う。自分が創作したものに関して感動してくれる人もあれば、真っ向から否定される場合もある。
ある有名な作家(誰だったか忘れたけれどwww)の言葉が印象に残っている。万人に向けて書こうとすれば、必ず失敗作になるとのこと。たった一人の読者に向けて全身全霊で書くことによって、始めて人の心を動かすことができる、という内容だった。
世の中にはそんな『一人』に共感する人が一定数は必ずいて、作品はそうして広がっていくとのこと。つまりたった『一人』を感動させえないものが、別の誰かの心に響くことはないんだろうね。ボクは小説やブログを書きながら、いつものこのことを思い返している。
そしてある映画を観て、やはりその言葉を思い出した。
『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』(原題:Florence Foster Jenkins)という2016年のイギリス映画。写真のメリル・ストリープとヒュー・グラントが素晴らしい演技を見せてくれる作品。
メリル・ストリープが演じるのは実在のソプラノ歌手であるフローレンス・フォスターという女性。子供のころから音楽活動をしていたけれど、一時期は最初の夫と駆け落ちして父に勘当されていた。
だけど父の死後に多額の遺産が入ったことで、音楽活動を始めている。自らヴェルディ・クラブというものを設立して基金を積み立てることで、大勢の音楽家を経済的に支援しつつ、自分も歌のレッスンを積んでいた。
そんな彼女には歌手として致命的な欠陥があった。それは極度の音痴だということ。始めて彼女の歌を聴いた人は、笑い死にしそうになるほど音程が外れてしまう。最初の夫に梅毒を感染させられていたことは映画でも触れられているけれど、音痴になったのはそのことが原因だと言われているそう。
だけど二度目の夫であるシンクレアは妻を心から愛していて、財産を駆使して新聞報道を捏造させ、観客も彼女に好意を寄せている人だけ集めるように全力を尽くした。だから彼女は自分が音痴であることを知らない。周囲の賞賛の声をそのまま受け入れていた。
だけどついに彼女がカーネギーホールでリサイタルを開くことになったとき、夫のシンクレアは目の前が真っ暗になる。3000人もの観衆を買収するのは無理だから。そのうえフローレンスは勝手にレコードを自主制作して、その一部がラジオで流されるという事態になってしまった。
さて、彼女のカーネギーホールでのリサイタルはどのような結末を迎えるのか?
基本的にコメディなんけれど、めちゃめちゃ感動する作品。新しい作品なので、ネタバレはこの程度にしておこう。でもこのブログのタイトルでバレちゃうかな?
彼女を愛し、彼女の歌に惚れ込み、心から感動していた人物が夫のシンクレアだった。フローレンスにとって、自分の歌を届けたいたった『一人』の人だったのかもしれないね。
主演の二人の演技は言うまでもなく、ピアニスト役のサイモン・ヘルバーグの演技はかなり見ものだよ。この映画を完璧にしているのは、彼のピアノ演奏と最高の演技だと思う。そしてシンクレアの愛人役を演じたレベッカ・ファーガソンも相変わらずの美人!!!
レベッカは綺麗なだけでなく演技派でもあるから、いつかアカデミー賞を受賞するだろうと期待している女優さん。これらの素晴らしい俳優さんたちによって復元された1944年のニューヨークに、どっぷりと浸かってしまえる最高の映画だった。
ブログの更新はFacebookページとTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。