言葉が見つからず混乱してる
肯定でも否定でもない、というものに出会うことがある。この言葉の使い方として、積極的な気持ちを表現していることは少ない。はっきり言えば、あまり心に響かなかったということだろう。
だけどかなり積極的に肯定できるにも関わらず、否定的な要素が目についてしまうということがある。気持ちとしてはかなり高ぶっていて、いい意味で興奮している。わかりやすい例をあげるとしたら、車のアクセルを目一杯踏みながら同時にブレーキを踏んでいる気分。
こんなとき、言葉が見つからずに混乱してしまう。そんな複雑な気分になる映画を観た。
『ドリームキャッチャー』という2003年のアメリカ映画。スティーブン・キングの原作を映画化したもの。原作を読んだとき、スティーブン・キングにしては宇宙人が登場するので不思議な感覚だった。でもよくできた物語で、4人の主人公と知的障害のある超能力者という5人の親友が大活躍する。
スティーブン・キング自身の言葉で、映画化された小説のなかで最高の作品とのこと。それでめちゃめちゃ期待して観た。ストーリーについてはこのブログで触れているのでやめておこう。気になる人はチェックしてもらえばと思う。
たしかに映画としては、よくできた作品だった。かなり複雑な物語なので、よくここまで映像化したなぁと感心した。超能力者と宇宙人とモンスターが関わってくるので、それだけで複雑なのがわかるはず。脚色する人はかなり苦労したことだろう。
ただ、この物語の本質があいまいになってしまったのも事実。ダディッツという知的障害の人物によって、4人の主人公たちは超能力を持つことになる。この映画ではその能力を使うことによって、地球人滅亡の危機を救っている。
だけどドリームキャッチャーというのは、悪い夢を留めて、いい夢だけを通過させる。だったらその悪い夢はどうなるのか、ということが原作では巧妙に書かれていた。それはこの5人が有する能力には、負の側面もあるということ。
ダディッツをいじめていた少年たちは、助けた4人に対していつか殺してやると宣言していた。その4人の恐怖がダディッツの超能力によって具現化したことで、その少年たちは不幸な交通事故で無残に命を落としている。その事故を誘発したのは、復讐を恐れる4人の恐怖だった。
映画ではこのあたりが完全にスルーされているので、片手落ち感がぬぐえなかった。そのうえエンディングで怪物対決にしたのは完全に失敗。おそらくあれは、映画配給会社の意向じゃないだろうか。劇場映画として観客を楽しませることしか考えていないように感じた。
DVDに未公開映像が収録されていて、まったくちがうパターンのエンディングが撮影されている。その映像は、この原作の意図を十分に含んだものだった。その映像で映画を完成して欲しかったけれど、営業的に反対されたんだろうなぁ。そのあたりがちょっと残念だった。
要するにめちゃ面白い映画だったのに、不満も山積みだったということ。だから評価する言葉が見つからずに混乱している。まぁ、こんなこともあるのが映画なんだろうね。
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