すべての人の魂に脚本がある
今日の神戸の最高気温は36.7度。もしかすると、この夏一番の暑さだったかもしれない。
だけど台風10号が近づいてきているおかげで、かなり強い風が吹いている。だから家にいると意外に涼しい。気温が30度で無風だったら、今日のほうが快適だと思う。
まだ暑い日々が続くだろうけれど、ある程度我慢しつつ過ごすことができる。それはいつか秋が来て、冬が来ることを知っているから。体験的に疑いを持っていないから。その確信があるからこそ、夏の暑さに耐えることができる。
夜明けとともに蝉が鳴いて、強い日差しで汗ばむこの時期になると、半年後の自分が寒さに震えてダウンジャケットを着ている姿が夢のように思えてしまうよね。だけどこの暑さが永遠に続くと思っている人はいない。必ず冬が来るという確信ほど強いものはない。
ボクは自分の人生にも、これと同じタイプの『確信』を持っている。まったく根拠のない『確信』だけれどねwww
人生というのは四季のようなもので、快適な時期もあれば、暑さや寒さに苦労する時期もある。だけどそれらが永遠に続くことはないと信じている。もっと正確に言えば、心がそれらの状況に対して対応可能になっていくということ。
同じシチュエーションでも強く生きようと思えたり、絶望して足が止まることもある。だけど快適であれ苦痛であれ、心の変化と共鳴することで感じ方が変わってくる。それは季節の移り変わりと同じようなもので、いつか変化することをボクは『確信』している。
もっと厳密でスピリチュアル的なことを言えば、すべての人の魂に脚本があると思っている。脚本ということは、ドラマがあるということ。だから快適なときでも用心を欠かさないし、苦しいときにも希望を持っている。
人間は自由意志で生きているように錯覚しているだけで、その脚本にそった出来事を体験している。だから自由意志はない。これがボクの信じていること。
ただその出来事に対して、どのように感じるかの自由はある。春を冬にすることも、灼熱の夏を快適な秋に変えることもできる。人間に与えられた自由というのは、自分の人生をどう感じるかというものだと思う。
さて、だったらその脚本を書いているのは誰だろう?
これは季節の移り変わりをイメージすると想像できる。どうして四季があるのか、あなたは説明できるだろうか? 太陽の位置がどうこうとか、地球の地軸が傾いているからという答えはダメ。
それはなぜ太陽がそういう位置にあるのか、なぜ地軸がその角度で傾いているかの説明になっていない。そのまま突き詰めていくと、物理法則では答えが出せないことがわかる。素粒子の動きを予測できても、なぜそれらが創造されたのかまで説明できない。それは宇宙の成り立ちに関しても同じ。
理論物理学者は研究を突き詰めていくと、ある結論に達する人が多い。それは『神』という不可知の概念。
人生の脚本というのは、そういう存在が書いているのじゃないだろうか。ボクはそう思う。それを神と呼ぶ人もあれば、本当の自分である真我と呼ぶ人もあるだろう。でも宇宙の成り立ちと同じで、誰が創造したかは問題じゃなくて、どう生きるかが大切なんだと思う。
話がそれそうになってきたな。つまりボクが言いたいのは、起きるべきことしか起きないということ。そして起きた出来事に春夏秋冬のラベルを貼るのは、この人生を体験している自分だということ。
だからボクは自分の人生に猛暑の日々が続いても、秋の到来を信じることができる。あぁ、早く秋になってくれ〜〜!
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