ある知覚実験を実行中
今月に入って、意識的にある知覚実験を実行している。これがなかなか面白い。
この実験をやろうと思ったのは、以前から気になっていたことがあったから。
それは、『人間は自分の信じることしか経験しない』というもの。
ボクたちが日々過ごしている現実世界では、想像を絶する多くの現象が同時多発で起きている。そのすべてを人間は五感を使って知覚するしかない。もし含めるとしても第六感を付け加えるのが精一杯。
だから必然的に不必要な情報をシャットアウトする。でないと脳がパンクしてしまうから。歩きながらカラスや鳩の行動、涼しけな声を聞かせてくれる秋の虫たち、さらにそよぐ風や雲の動き等のすべてを認知するのは不可能。意識的であれ無意識的であれ、すべてを把握するのは無理。
となると、自分にとって必要な情報だけを認知できるようにしなければいけない。その基本となるのは、『自分が信じていること』だと思う。過去の経験からこうなるだろうと予想されること。あるいはこうなったら困るという不安。そうしたものに基づいて、必要となる情報を選択しているはず。
つまり二人の人間が同じ道を同じ時間歩いたとしても、知覚している世界はちがうということ。だから想定外のことが起きたら人間はパニックになる。信じていないことが起きるなんて『信じて』いないから。
そこでボクは思った。もしその『信じる』というものを意識から完全に除外したら、現実世界がどのように見えるのか?
と言ってもいきなり現実世界で実験するのはハードルが高い。交通事故に遭いたくないし、他人とトラブルを起こすのも避けたい。そこでまずはイメージの世界で実験することにした。
ボクは明晰夢や体外離脱のトレーニングをするため、イメージを映像にして知覚する練習を過去にやっている。だから思ったイメージを映像として経験することはできる。特に夜明け前の寝起きのころには、ある程度自由にイメージをコントロールして遊ぶことが可能。
いまはそのときに、あえてイメージをしないように実験している。何かを見ようとして映像化するのではなく、出てくるものに任せるというやり方。簡単に書いているけれど、これが意外に難しい。
『絶対に赤いリンゴを思い浮かべないでください』と言われたとき、頭に赤いリンゴが浮かぶのと同じ。イメージしないと意識することで、想像力を働かせてしまいやすい。かなりの練習が必要だけれど、少しずつこちらの意図なしに映像を知覚できるようになってきた。
これが意外に面白くてやめられない。まさに想像を超えた世界が目の前に現れる。過去の記憶には存在していないと感じるものが多い。もしかしたら潜在意識から抜き出している可能性もあるけれど、とにかく未知だと感じるのはたしか。
風景や生き物、そして話しかけてくる人間もどこか異質。うまく言語化できないけれど、既知の概念から逸脱しているような気がする。これは寝る前にも実験できるので、いまは就寝前と起床前に実験を重ねている。
ただ問題は『寝落ち』しやすいこと。自分のイメージを外そうとすることで、一種の瞑想状態のようになる。できるだけ思考を働かせず、見えた映像を判断しないように傍観する。そうすると気がついたら夢のなかだということが多い。ここが今後の課題だよなぁ。
この実験を続けていつの日か熟練したとき、今度は現実世界をどう感じるかをチェックしてみたい。もしかしたらいままでとちがう何かを感じるかも。そんなことを思いながら、今日もこの知覚実験にトライするぞ。
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