自己否定感のなだめ方
ネットでよく目にする自己肯定感。たしかにとても大切なものだと思う。小さなことでもいいから成功体験を積み重ねることで、自己肯定感をキープして高めていくことができる。それを後押しするのは、根拠のない自信だろう。
だけどそれと同様に大切なものとして、ボクは自己否定感を忘れないようにしている。自己否定のないところに、成長はないと思っている。いまの自分で本当にいいのかと問い、自己検証を重ねる。それを忘れてしまうと、単なる自己満足に終わり思考停止する。そしていま以上の進歩が望めなくなる。
要するに自己肯定感であろうと自己否定感であろうと、そのバランスが大切だということ。どちらに振れすぎても、あまりいい結果にならない。振り子のように両者をうまく行き来することで、全体としてレベルアップしていけると思う。
ただ問題なのは、極度の自己否定感だろう。これはかなりやっかいなもの。自己肯定感が極限に向かっているときはまだいい。やる気もあるし、ものごとをポジティブにとらえることができる。
だけど自己否定感が極限まで達すると、その揺り戻しがかなり難しい。人間という生き物は、ついネガティブなほうに流されやすいもの。だから奥深くまで自己否定感に浸ってしまうと、底無し沼に落ちたのと同じ。意外と怖いのが、自己肯定感が振り切りすぎた結果として自己否定感に反転した場合。ギャップの大きさで立ち直れない場合がある。
そうなると負のスパイラルが止まらない。ボクだってこれまで何度も経験してきたし、これからも経験するだろう。ライバルがずっと先んじているようにしか感じられなくなって、嫉妬心と焦燥感にさいなまれる。そして自分のダメさに絶望的な気分になる。小説を書いていると、そんなことは頻繁に起きる。
そんなときは、落ち着いて自己否定感をなだめるしかない。その際のボクのやり方を書いてみよう。個人的なものなので、他の人には効果がないかもしれないけれど。
取り残されて自分が無価値に思えてきたら、現実世界のことを考える。それはこの世界が存在する要件のようなもの。ボクはこう考えている。
『現実世界は、ボクがこの世にいないと存在しない』
これはスピリチュアルな観点でなくても事実。ボクが死ねば、ボクにとってこの世界は存在しないからね。つまりボクが生きているから、この世界が成立していると言える。
さらにボクはこの言葉も付け加える。
『現実世界に、必要ないものは存在しない』
この現実世界はボクがいないと存在しないし、かつ、ボクという人間は現実世界の維持にとって欠かせないことを思い出す。いまこの瞬間は何も成し遂げていないように思えても、呼吸をして生きて存在していることに意義があると言い聞かせる。
でないと現実世界というジグソーパズルは完成しないから。生きているだけで、誰かの役に立っていることを思い返すようにしている。どんな人にも生きている限り役割がある。だから死を迎える瞬間まで生きる義務がある。それは現実世界を維持するために必要だから。
だから人のことなんて気にしなくていい。自分のペースで努力を重ね、成功体験を積み重ねていくしかない。そこまで思えるようになると、どうにか極限の自己否定感から抜け出すことができる。ある種の自己暗示かもしれないけれど、ボクはこうして自己否定感をなだめている。
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