ボクは本気で神の裁きを望む!
どれだけ好意的に見ても、人間ほど愚かな動物は存在しない。以前のブログでも書いたことがあるけれど、本気で滅亡していまえばいいと思うことがある。
様々な情報があふれている現代だけれど、どうでもいいようなことが多すぎる。マスコミはもっと伝えるべきことがあるんじゃないだろうか。
そう思うと、まだ映画という芸術があることに救われる。今日ボクが観た映画は、大勢の人に伝えるべき事実をリアルに描いていた。この映画を観ないと知らなかったことがいくつもあった。かなりツラい映画だけれど、大勢の人に観て欲しいと思った。
『それでも夜は明ける』(原題:12 Years a Slave)という2013年のイギリス・アメリカ映画。ソロモン・ノーサップという黒人が、1853年に発表した手記を映画化した作品。この手記はのちの研究者によって、その内容がほぼ事実だと立証されている。
なぜアメリカで1860年代に南北戦争が起きたのか理解できる映画だった。ボクは初めて知ったけれど、アメリカの北部には自由黒人という存在が認められていた。白人よりは制限を受けるけれど、一般人としての権利も認められ、安全で文化的な生活をすることができた。
ノーサップはその自由黒人だった。ニューヨーク州のサラトガで妻と二人の子供と暮らしてた。バイオリンの名手でもあるノーサップは、ある二人の男性に依頼されてワシントンでの演奏に招待される。ギャラも良かったので、ノーサップは引き受ける。
だけどそれはワナだった。彼は薬を飲まされて酩酊状態にされたうえ、南部の奴隷市場に売り飛ばされた。白人と変わらない生活をしていたのに、いきなり奴隷としての生活を強いられる。知ってのとおり南部では奴隷制度が認められていて、黒人は人間としての扱いを受けていない。
ノーサップはなんと12年にもわたって奴隷生活を送ることになった。読み書きができたり、自由黒人であったことを知られたら殺されてしまう。だから生き延びるためには無知な奴隷のふりをしているしかなかった。
このノーサップの目を通して、アメリカの奴隷制度のおぞましさがリアルに描かれている。気の弱い人なら見るに耐えない映像だし、ボクのように感情的な人なら映画を観ながら怒り狂うだろう。人間がこれだけ愚かで残酷になれたことを知って、同じ種として恥ずかしさしか覚えない。
たまたまカナダ人の大工と知り合ったことで、彼はサラトガの友人に手紙を書いてもらえる。そのカナダ人をこの映画のプロデューサーでもあるブラッド・ピットが演じていた。やや人間味のある奴隷の雇主としてベネディクト・カンバーバッチも好演していた。
もっともおそろしかったのはマイケル・フェスベンダーが演じたエップスという奴隷の所有者。ノーサップの手記が事実だとしたら、このエップスの死後に神が公平な裁きをしてくれたことを本気で望んでいる。それほどひどいやつだった。
そしてノーサップを演じたキウェルテル・イジョフォーの演技に、ボクは何度も心が揺さぶられた。この映画に『ラブ・アクチュアリー』での温和な彼も、『ソルト』という作品で切れ物のCIA 職員だった彼もいない。理不尽な運命を受け入れたノーサップそのものがそこにいた。
この映画を観終わったあと、こう思う人は多いだろう。この映画は決して過去の出来事ではなく、いまも同じことが続いていると。映画の製作者たちもそう考えて欲しくて作った作品だと思う。
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