もしブッダが今の世界を見たら
今日の午前中は、この時期に欠かせない作業を行った。それは年に1度やっている、サボテンの土替え。
去年までは在庫の土を使っていたけれど、今年は新しい土を購入した。いつもこの作業をすると、しばらくドキドキする。もし土が合わなかったり、環境変化のせいで枯れてしまわないか心配になる。かなり大きくなったから大丈夫だと思うけれど。
去年、この2色の植木鉢を新調した。そのときは余裕があったのに、鉢を大きくすると一気に成長した。この写真を見ると、すでに窮屈そうだよね。もう2〜3年はこの鉢にいてもらうつもりなんだけれどなぁ。キミたち、大丈夫か?
このサボテンたちは、7年前にボクが種から植えたもの。通常は発芽してから7〜8年で花を咲かせるそうなので、今年はめちゃ期待している。でも園芸の達人によると、植物はストレスを感じると花をつけるらしい。ヤバいと思って子孫を残そうとするからだろう。
妻に言わせると、ボクは彼女たち(花を咲かせて欲しいので女性扱いしているwww)に対して過保護らしい。だから箱入り娘で育ってきたので、子孫を残そうなんて思わないかもしれない。もしかしたらこのまま成長していくだけかも。
だけどストレスをかけるなんてボクには無理なので、いまの状態で咲いてくれるのを期待するしかないな。もし咲いたら感動で泣くだろうなぁ。
さて、図書館が休館中なので、昨日も自宅所蔵の本を再読した。
『かもめのジョナサン』リチャード・バック著という本。これは1970年に出版された作品に、著者が最終章を付け加えた完成版。日本でこの翻訳本が発売されたのは2014年になる。
この最終章が出版された経緯が面白い。著者の奥さんが、ゴミ箱に捨てられていた最終章の原稿を見つけた。そしてこれは絶対に出版するべきだと夫を説得したことで、日の目を見ることこになった原稿。
このエピソードは、『キャリー』を出版したときのスティーブン・キングと同じ。『キャリー』もスティーブンの奥さんがゴミ箱から原稿を引っ張り出さなければ、その後の彼の作品は生まれなかったかもしれない。
話を戻すけれど、ボクは最終章が付け加えられたことで、この物語はようやく完成したと思う。何度読んでも素晴らしいし、心震える作品。短い小説なのに深い物語を読んだ気分になる。
ボクの好きなセリフを書き出しておこう。
ジョナサンがチャンという解脱したカモメに尋ねる。天国なんて、本当はどこにもないのでは? と。
「その通りだ、ジョナサン。そんなところなどありはせぬ。天国とは、場所ではない。時間でもない。天国とはすなわち、完全なる境地のことなのだから」
そしてジョナサンは、完全なる境地に達する。そしてもう一度カモメの群れに戻り、真理を伝えようとする。その結果、大勢のカモメが真実に目覚めていく。
やがて使命を果たしたジョナサンは、弟子に託してその世界を去る。ところがここから厄介なことが起きる。
カモメとして自由に飛ぶことを教えただけなのに、ジョナサンの言葉だけが聖なるものとして伝えられていく。その言葉を信仰するカモメがいるだけで、実際に空を飛ぼうとしない。つまり、人間社会における既存の宗教と同じことが起きる。
そんな状態のあと、カモメの世界がどうなったかについて、完成版では語られている。おそらくいまの時代だからこそ、心に伝わるものが多いと思う。
この本を読んで思った。もしブッダが、あるいはキリストが生きていて、いまの世界を見たらどう思うだろう?
ブッダは偶像崇拝をするな、と死ぬまで何度も口にした。でもいまの仏教は仏像を作り、それに手を合わせている。誰もブッダのいうことを聞いちゃいないwww
キリストは隣人愛を説いたのに、宗派のちがいでキリスト教徒は殺し合いをしてきた。布教を目的として多くの国を植民地化し、その国の土着信仰を破滅させてている。
『かもめのジョナサン』を読むと、いつもそのことを思う。宗教家は本当に大切なことを見失い、他人を操るために宗教を悪用してきた。この作品には、著者のそんな想いが込められているように思う。
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