映画はどこまで残酷になれるか
映画の映像について、どの程度の規制があるんだろう? 世界的にはR15等の指定がされて、青少年を守ための措置は取られている。
ボクはあまり見ないけれど、ホラー映画でもスプラッタームービーというジャンルだとかなりエグいよね。指定はされていなかったはずだけど、ボクがもっとも怖いと感じたのは『プラトーン』というベトナム戦争の映画。
この映画のクライマックスとなる戦闘シーンは、本当に死の恐怖を実感した。『タコ壺』と呼ばれている小さな穴にひそんでいるアメリカ兵に、次々とベトナム兵が銃口を向けてくる。ベトナム戦争を経験したオリバー・ストーン監督だから表現できた恐怖かもしれない。
映像の規制に関しては、おそらく国によってもちがうと想像する。そんな規制のせいか、ボク的にはかなりがっかりした映画がある。
『特捜部Q キジ殺し』という2014年のデンマーク映画。『特捜部Q』シリーズの2作目で、未解決事件を扱う刑事の活躍を描いた物語。
先日にこの原作を読了した。『悪女の一人舞台』というブログ記事に感想を書いている。とにかくすごい物語だったので、映画を期待していた。大雑把なストーリーが知りたい人は、リンクした記事を参照してもらえたらと思う。
映画化されることでストリーが変わることは仕方ない。この作品の原作はかなり込み入った物語なので、それは最初から覚悟していた。原作では6人となる犯人グループが4人に変更されていることは納得。むしろ2時間の作品としては、とてもうまくまとめられていたと思う。
ただしこの物語の良さは、変な言い方だけれど『胸糞の悪さ』にある。とにかくエグい物語だし、理不尽な暴力が吹き荒れる。そのうえ動物虐待という、ボクがもっとも憎んでいることが物語の主軸をなしている。その『胸糞の悪さ』がキミーという悪女の行動によって、ラストで吹き飛ばされる。そこにカタルシスがあった。
だからこれだけのヤバい物語をどう映画化するのか興味があった。同時に悪い予感もしていた。なぜならヨーロッパ映画は、ハリウッドよりさらに映像に関する規制がきびしいと感じていたから。そんな予感が的中した。
動物に関することは匂わせているだけで、まったく映像化されていない。犯人たちが狩猟に行くシーンがあっただけ。それゆえ物語の展開を根本的に変更せざる得なくなっっている。さらに問題なのは、キミーという悪女のキャラを変えてしまったこと。
原作のキミーはすべての殺人を実行したという強烈なキャラ。なのに仲間にひどい扱いを受けて復讐の鬼と化している。だから警察にも仲間たちにも見つけられない。神出鬼没で復讐を果たすところにキミーの魅力がある。
ところが映画のキミーは、悪女でありつつもどこか聖女化されていた。キミーは人殺しの実行犯ではなく、目撃者となっている。そのうえ一度は警察に捕まったりする。とても綺麗で雰囲気のあるデンマークの女優さんだったけれど、これは原作のキミーではない。
おそらく映像化の規制が足を引っ張ったんだと思う。動物に関するシーンや暴力シーンに自主規制をかけたことで、原作はとかけ離れてしまうことになったんだろう。好意的に見てそう感じた。
これは難しい問題だよね。R 15指定をするとしても、残酷シーンは規制がかかってしまう。どこまでが映画の限界なのか、それは製作者や映画会社の判断になるのかもしれないね。妥協した雰囲気を感じたのが、ボクは少し残念だった。だけど原作に近づけると批判も出そう。
原作者はこの作品についてどう感じているんだろう? 『シャイニング』のときのスティーブン・キングのように、怒り狂ったのだろうか? それとも納得しているのかな?
とにかく次は第3作目。またまた原作を読んで、映画を観るぞ〜!
ブログの更新はFacebookページとTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。