理想と現実の溝を埋めるもの
理想を追いかけることと現実を直視することは、正反対のベクトルを持つものだと思われがち。まるで互いの足を引っ張りあっているような印象が強い。
だけど両者は同じ方向のベクトルを持っている。その方向とは、関わった人が『幸せになりたい』というもの。だから理想と現実の溝に絶望するのではなく、どうすれば互いが歩み寄れるかを全力で考えるべき。そうすれば全体として、幸せの方向へ進んでいけると信じている。
ところがどうしてもどちらかを悪者にすることが多い。ある映画を観ていて、そのことを強く感じてしまった、。
『天使にショパンの歌声を』(原題:La passion d’Augustine)という2015年のカナダ映画。ケベックが物語の舞台なので、全編がフランス語の作品。
カナダのケベックに修道院が経営している小さな寄宿学校がある。女子校で、音楽を教育の中心に置いている。裕福な家庭の子もいるけれど、家庭に事情のある子供も寄宿していた。学校は修道院の費用と寄付金によってどうにか運営されていた。
校長の修道女はオーギュスティーヌという名で、過去にはピアニストとしての経歴がある。厳格ながらも生徒の可能性を伸ばすことに才能を発揮していて、生徒だけでなく保護者や、同僚の修道女からも信頼されていた。
だがカナダ政府の教育方針の変更により、この学校が廃校される可能性が出てきた。担当する修道院の女性総長が経費削減に厳しい人で、音楽教育で支出の多いこの学校を売却することを決めていた。
校長はその措置に対抗するため、あらゆる手を尽くす。マスコミを利用して音楽教育の必要性をアピールしたり、ピアノコンテストで生徒に受賞させることで、その成果を世間に知ってもらおうとした。おり良く校長の姪であるアリスが、母親の都合で転校してきた。彼女はピアノの天才だった。
アリスに金賞を取らせることで学校は救われる。そう確信した校長はアリスを必死で仕込む。ところがアリスはかなりの問題児で、トラブルばかりを起こす。やがてコンテストに出ない、とまで言い出す始末。
結果として学校は売却される。オーギュスティーヌは修道院を去ると、アリスのために音楽学校を開く。そしてラストでアリスは見事に金賞を受賞するというエンディング。
映画としては物語性に物足りなさを感じて、やや単調な雰囲気だった。どうせならアリスにもっと暴れさせた方が面白かったけれどね。そして気になったのが、学校を売却した修道院の総長を悪役として扱っていたこと。
校長は教育の理想を追い、総長は経済的な現実を直視しただけのこと。どちらがいいとか悪いじゃないはず。なのに映画は音楽が素晴らしくて、経済が悪いという印象操作をしている。その部分が、ボクはどうにも気になってしまった。
ただこの映画がすごいのは、歌や演奏が吹き替えを使われていないこと。だからアリス役の女優さんも本当にピアノを弾いている。調べてみると、音楽学校を出ていて、カーネギーホールで演奏したこともあるバリバリのピアニストだった。そりゃうまいはずやわwww
そのうえ高校生役なんだけれど、妙に色っぽくて綺麗な女優さんだった。だって20代だからね。これが映画デビュー作とのこと。とにかくコンテストで彼女が弾いたショパンの『別れの曲』は、マジで感動して涙が出てくるほど素晴らしかった。音楽映画としてはかなり素晴らしい作品だと思う。
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