都合の良すぎる話にウンザリ
ボクは自分の人生に関して、自分で責任を負いたいと考えている。予想外のラッキーに遭遇することもあれば、必死で努力したのに結果が出ないこともある。でもそれが人生の醍醐味でもあり、自分に起きるすべてのことを積極的に受容したいと思っている。
それはつまり、究極的な意味での自己中心主義だと言える。他人のせいにしない生き方であり、ラッキーなことも、報われない努力の結果も自分が享受するべき。だけど『運』というものが、誰かと共有できるとしたら?
誰かの溜め込んだ『運』をボクが使ったり、ボクが受け取らないまま貯めた『運』を誰かが使えるとしたら? 要するに『運』というのはポイントカードに貯まるポイントであって、努力しても結果が出ないときはポインを貯めている状態で、まだ使っていないだけという発想。
そのことをテーマにした小説を読んだ。
2021年 読書#1
『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰 著という小説。
書籍写真のオビに書いてあるように、『報われない努力なんてない!』ということを伝えようとする内容。
そもそもこの段階で引っかかりを感じてしまう。そして面白くない。なぜならボクは『報われない努力』なんで飽きるほど経験しているから。そしてそれがあるからこそ、次の努力へのモチベーションとなる。どうすれば結果が出るか、必死になって考えて動く。それこそが人生の楽しみだと思う。
小説の主人公は生命保険の営業マン。解約が続き、仕事がうまくいかない。どれだけ努力しても報われないと感じている。中学生の娘は不登校で、家庭での問題も抱えている。
そんな主人公が不思議なタクシーに乗車する。運転手は彼のことをすべて知っていて、『運』がよくなる場所に運んでくれるとのこと。メーターは加算されるのではなく、先払いになっていて減っていく。つまり誰かが残してくれた『運』を主人公が使うことになる。
その運転手は単なるタクシーの乗務員ではなく、運を転ずる人という意味での『運転手』ということ。その運転手の正体、さらに誰が『運』を溜め込んだのか? 小説として提起される謎の中心はその部分になる。
結果として主人公はあることに気がつく。『報われない努力なんてない!』ということを。たとえ結果が出てなくても、未来の自分、あるいは誰かのために『運』を貯めているだけのこと。だから必ず報われるという発想になる。
年初からグチを言いたくないけれど、久しぶりに読後感の悪い小説だった。いわゆる自己啓発本と同質の内容であって、著者の意見を一方的に押し付けられているような気分にさせられる。正義ぶった運転手の言葉によって、生き方の自由を奪われているように感じた。
そのうえ結末があまりにも都合良すぎる。予定調和を通り越して、かえってリアリティから遠ざかったように思う。ハマる人にはハマるのかなぁ???
どんな努力も報われるという考えは危険だと思う。どれだけ的外れの努力をしていても、そのことに気づけなくなってしまうから。やっていることに自己満足してしまい、結果を求める厳しい視点を失ってしまう。
さらに『運』というのは気まぐれでもある。だから適切な努力をしていても、『運』に見離されることがある。でもそれこそが人生だと思う。そうして悔しい想いと向き合いながら、前へと進む力をどうして見つけていくのかが、人間が身につけていく深みだと思うんだけれどなぁ。
今年最初の小説としては、ちょっと物足りない作品だった。ほめる部分を探したけれど、うまく見つけられなかったなぁ(汗)
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