この世界が現実とは限らない
体外離脱や明晰夢を何度も経験していると、それらのリアルな世界がある疑問を投げかけてくる。
ボクが暮らしている世界は、本当に確固たる現実なのか?
非物質世界を体験しているはずなのに、現実世界とほとんど変わらない知覚を経験する。それゆえ現実世界の知覚が説得力を失ってくる。もしかしたらすべてが夢の世界のようなものかもしれない。そんなことを本気で考えることがある。
今日観た映画は、そんなボクの感覚を見事に映像で表現したものだった。こんな素晴らしい映画があったなんて知らなかった。
2021年 映画#17
『ステイ」という2005年のアメリカ映画。ユアン・マクレガー、ナオミ・ワッツ、そしてまだ青年の雰囲気を残したライアン・ゴズリングが出演している。
ユアン・マクレガー演じるサムは精神科医。ベスという知り合いの医師が療養していることで、ヘンリーという学生の診察を代行する。ヘンリーは自殺願望を持っていて、今週の土曜日の真夜中に自殺することを宣言する。そのヘンリーをライアン・ゴズリングが演じている。
サムには学校で美術教師をしている画家志望のライラという恋人がいる。結婚を考えていて、サムは指輪を用意している。ただライラは過去に自殺未遂を起こしたことがあるので、サムはヘンリーについて言及するのを避けていた。ライアを演じているのはナオミ・ワッツ。
ヘンリーの診察をするようになってから、サムは不思議な経験をするようになる。ヘンリーはまるで予言者のような能力を見せるし、神出鬼没で不思議な言葉を口にする。やがてサムもデジャブを頻繁に経験するようになり、死んだはずのヘンリーの母親と会話するという霊体験さえしてしまう。
このあたりから物語は異様な世界観が加速していく。映画の冒頭から凝った編集がされていて、複数の現実が不思議な連続を見せていた。サムとヘンリーの立ち位置が急に変わったり、あるドアが別のドアにつながっていたり。
このあたりの映像をわかりやすく説明するとしたら、人間が寝ているときの夢と同じ。
ヘンリーが抱えているのは両親を殺してしまったという罪悪感。そして指輪まで用意したのに、愛する恋人にプロポーズできなかったという後悔。同じように指輪を用意しているサムの生活とダブってくる。とにかく映画の後半にかけて支離滅裂な世界が展開されていく。
結論から述べておこう。この映画の大部分は、交通事故を起こして死の瞬間を迎えようとするヘンリーの幻覚だったというオチ。物語の登場人物たちは、その事故現場で彼を助けようとした、あるいは野次馬として集まってきた人たちだった。だからサムもライラも、偶然にその場に居合わせただけだった。
ヘンリーが運転する車にはプロポーズをするつもりだった恋人、そして両親が乗っていた。だけどタイヤのパンクによって3人を死なせてしまった。そして自分も死を迎えようとする刹那、その場にいる人たちを登場人物とした幻覚を見ていた。
看護師であるライラが恋人に見えたヘンリーは、指輪を手にしてプロポーズをする。そのシーンがあまりに切なくて悲しくて、ボクは涙があふれてきた。3人の主演俳優たちの演技が素晴らしいので、この作品の独特な世界観に魅了されてしまった。特にライアン・ゴズリングはマジで天才だと感じた。
ただこの映画を観た多くの人は、ラストのオチを知ってつまらないと考えるかもしれない。1時間半もかけて妄想を見せられたことに立腹するか、あるいは作品としての低評価を下すことになるかも。
だけどそう思うのは早計。ラストシーンでヘンリーの事故死を確認したサムが、初めて会ったライラをコーヒーに誘う。その瞬間、彼の脳裏によぎったのはヘンリーが体験していた妄想の世界の二人だった。
ボクの勝手な解釈だけれど、この映画はその瞬間にすべてをかけていたんだと思う。サムがヘンリーの事故死を見守ったのは現実だと誰もが思う。それで映画が終わりだと。だけどボクはそう思わなかった。
『この世界だって現実とは限らない』
サムがラストで見たビジョンが、そのことを示唆していたと思う。深読みかもしれないけれど、この映画が伝えたいことはそのことだと思う。そして体外離脱や明晰夢を経験しているボクは、その示唆に同意せざるを得ない。
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