天寿の時間差がもたらす切なさ
時間が相対的なものであることは、アインシュタインによって理論化された。そしてそのことを裏付ける科学的データも出そろっている。要するに時間というものは、それを感じている存在によってちがうということ。
なかでも生物が感じる時間というのは、その種が持つ天寿に左右されるように思う。平均寿命が80年ほどの人間と10〜15年ほどの猫とでは、同じ1時間を過ごしてもまったく異質な感覚なのではないだろうか?
猫の年齢を人間に換算するとき、およそ1年で4歳を加えることが多い。つまりボクたち人間が1日を過ごすと、我が家のミューナは4日ほどを過ごした事になる。一泊二日でミューナを留守番させるということは、彼にとって1週間ほど放っておかれるのと同じ事になる。そう思うとなんともいえない切ない気分になる。
いまのミューナは病気中だから、ボクと妻がそろって外泊することはあり得ない。1日に2回は薬を飲ませなくてはいけないから。そして彼の死を一度は覚悟したことで、少しでも長く彼と一緒に過ごしたいと思うので、旅行なんて頭の隅にも浮かぶことがない。
まだ赤ちゃんだったミューナをハッキリと覚えているのに、人間の年齢にすればすでに70歳を過ぎている。ボクたちの4倍のスピードで一生を駆け抜けていることを思うと、本当に切なくて仕方ない。なぜこんな感傷にひたっているかといえば、ある小説を読んだから。
2021年 読書#12
『ちんぷんかん』畠中恵 著という本。ずっと追いかけている『しゃばけ」シリーズの第6弾。前回は第1弾以来の長編だったけれど、今回はいつものように5つの短編が収録されている。
でも短編集といっても、意味内容が継続的になっている。今回の第6弾ではいきなり大火事の話が出てくるけれど、その時系列にそってのちの物語が創作されている。だから短編集なんだけれど、連続ドラマに近い感覚になっている。それゆえこの物語のファンは、ボクのようにますますハマっていくのだろう。
主人公は長崎屋という廻船問屋兼薬種問屋の若だんなの一太郎。祖母は力のある妖怪で、祖父は人間。だから彼にも妖怪の血が流れている。といっても妖怪を見ることができる程度。身体が弱くて、両親にも、そして彼を守っている仁吉と佐助の手代にもひたすら甘やかされている。この手代の二人の正体は妖怪。
今回も心温まるドラマばかりで、一太郎が事件を解決するのを楽しみながらハートウォーミングな気持ちになれる内容だった。
『鬼と小鬼』
『ちんぷんかん』
『男ぶり』
『今昔』
「はるがいくよ」
という5つの短編が収められている。楽しかったのは一太郎の両親の馴れ初めが紹介されていた『男ぶり』という小説。一太郎の祖母が妖怪だということは、彼の母も妖怪の血が半分入っている。父は長崎屋の手代だったけれど、ある出来事がきっかけで母のハートを射止めるという物語。
そしてボクが大泣きしたのが『はるがいくよ』という最後の物語。この物語を読んだことで、天寿の時間差がもたらす切なさを感じてしまった。
最初の物語で江戸を襲った大火事が起きる。長崎屋の周囲も焼けたことで、家が再建されることになった。それが最後の物語につながってくる。家の敷地を確保するため、近所の桜の木が邪魔になった。
気の毒に思った長崎屋の主人、つまり一太郎の父はその桜を長崎屋の庭に移植した。すると桜の精が現れて、妖怪が見える一太郎と一緒に暮らし始める。
小紅と名付けられた女の子の赤ちゃんは、桜の花びらの精だった。つまり2週間ほどで大人になって消えてしまう。そのことを知った一太郎は必死になって小紅が長生きできないかと走り回る。
だけど天寿は決まっている。一太郎は赤ちゃんから一気に大人の女性になっ小紅を見送るしかなかった。あまりに切なくて本気で泣いてしまった。そしてその切なさは、彼を守っている仁吉と佐助が抱えているものでもある。
二人の手代は妖怪だから、すでに1000歳を超えている。だけど彼が愛して世話をしている一太郎は長生きしても70年くらい。つまり一太郎が小紅に感じた同じ想いを、二人の手代も一太郎に対して感じているということ。
わかっていることだけれど、なんて切ないんだろう。時代小説を読んで、こんな気持ちになるとは思わなかったなぁ。
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