日本人の宗教観が原点
昨日ある記事を読んでいて、日本人の宗教観について考えさせられた。沖縄の政教分離訴訟に関して最高裁判決が出ている。それについて言及した内容。
政教分離というのは大切な原則だと思う。だけど日本において、どこまでが宗教なのかについて線引きするのは難しい。それゆえ微妙な判決になってしまうのだろう。
リンク先の記事で紹介されている政教分離訴訟について記事から抜粋しておこう。
『今年2月24日、那覇市の孔子廟をめぐる政教分離訴訟で興味深い判決が下された。那覇市が公園内の孔子廟に公有地を無償提供したことを最高裁が違法としたのである』
この判決に至った経緯について書かれている記事で、少し長いけれどとても興味深く読んだ。ざっと感じたのは、日本において政教分離というのは曖昧になりやすいということ。
例に出して悪いけれど、公明党の母体が創価学会であることは誰もが知っている。自民党と連立を組んでいる与党として、政教分離の立場からいえばかなり微妙だと個人的には感じている。問題視されていないのは、それなりの理論づけがされているからだろう。
そもそも日本人の宗教観がとてもユニーク。子供が生まれたらお宮参りは神社に行き、死んだときはほとんどの人が仏教のお寺に依頼する。そうかと思えばクリスマスは祝うし、ハロウインだった楽しむ。初詣は基本として神社。
ボクのような無宗教を公言している人間でも、飼い猫のミューナが病気になれば神社にお参りに行ってしまう。極端な話、本当に重症のときは『猫の神様』に祈っていた。その神様がどこにいるのか知らないけれどwww
リンク先の記事に面白いアンケート結果が紹介されている。宗教に関するもので、信仰とか信仰心を持っていますか? という質問。7割の日本人が持っていないと答えた。この結果だけを見れば、日本は中国に次ぐ世界第2位の無宗教国ということなるらしい。
ところが『宗教的な心』を大切だと思いますか? という質問に対して、7割の人が大切だと答えている。この部分が日本人の宗教観の原点だと思う。
本来人間は、原始時代から自然の脅威と戦ってきた。日々の糧や家族の安全を願うために、自然そのものを信仰してきた。いわゆるアニミズムというもので、動物や植物だけでなく、すべてのものに魂が宿っていると信じてきた。この思想が、おそらくいまの日本人には根強く残っているんだと思う。
だから仏教が伝来しても、キリスト教が流布されても、それなりに受け入れてきた。かといってヨーロッパや中東のように、特定の宗教が他を圧倒するというような状況になっていない。なぜなら根底にあるのが一神教ではなくアニミズムだから。
アニメ映画の『千と千尋の神隠し』がわかりやすい。あの世界観こそが神という存在に対する日本人の感覚を象徴していると思う。そもそもギリシャでもそうだったし、インドのヒンズー教もそうした性質を残している。
キリスト教やイスラム教のような一神教が広がったのは、権力者が民衆を支配するのに都合が良かったからだろう。その点、日本人は懐が深いゆえに柔軟な対応をしてきたんだと思うなぁ。
政教分離に関しては微妙だけれど、ボクはそんな日本人の宗教観をとても好ましく思っている。
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