恐怖にも時代格差があるらしい
あまりに有名すぎて、観たような気分になっている映画は多い。特に古い映画ほどその傾向が強く、よほど思い切らないと観ないままで終わってしまう。
そんな気分になっていた、古典的な名作といっていいスリラー映画を初めて観た。
2021年 映画#75
『サイコ』(原題:Psycho)という1960年のアメリカ映画。アルフレッド・ヒッチコック監督の代表作なんだけれど、なんとこんな有名な映画をボクはずっと観ていなかった。この写真のシーンが記憶に残っていて、なんとなく観た気分になっていたせいかもしれない。
初めて観た感想としては、たしかに面白い映画だった。ボクが生まれる前の公開だから、当時の人はこの映画の結末に驚いたことだろう。映画館の途中入場禁止や、ストーリーの口外禁止が要請されたのはわかる気がする。
ただすっかり現代のホラー映画や小説になじんだボクにすれば、『恐怖』ということに関してはさほどに心を動かされなかった。ノーマン・ベイツが多重人格、あるいは統合失調症のような精神状態で殺人を犯すのは、いまではありふれたシチュエーションになっているから。
これはある意味、恐怖の時代格差のようなものだと思う。昨今の恐怖映画や小説は手が込んでいて、さらに複雑で恐ろしい設定になっている。そうした作品に慣れているので、この映画の結末を知っても大きな驚きを感じなかった。
キャラ的な怖さでいえば『羊たちの沈黙』のレクター博士や、『ミザリー』のアニーのほうがよほど恐ろしい、だって『サイコ』のノーマンは自分の犯行を自覚していない。母親の意識が人を殺しているから。だけどレクターやアニーは犯行を自覚している確信犯だからね。
でもこの映画を面白いと思ったのは、被害者となったマリオンの心理描写。顧客が払った4万ドルに目がくらみ、現金を手にしたまま逃亡。その逃亡中の彼女の心理状態が、音楽や会話を通じて痛いほど伝わってきた。
自分の車を売って中古車を買う場面なんて、マリオンの焦る気持ちが行動と言動のすべてを通じて表現されていた。さらに道路の向こうで彼女の動きを気にする警察官の視線も不気味。これらのシーンは時代格差というより、むしろ現代の映画に取り入れていくべき手法だと思う。さすがヒッチコックだよね。
個人的な感想でいえば、ヒッチコック作品としては『サイコ』よりも『めまい』のほうが好きだな。『めまい』は複数回観ても、ラストの驚きを新鮮な気分で味わえる作品だと思う。
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