夫の心の霧を払った妻の愛
先日、久しぶりに『シャイン』という天才ピアニストの実話を映画化した作品を観て、改めてこの人物に強い関心を持った。それで調べてみると、彼の妻が書いた手記が存在していた。実話の映画化とはいえ、当然ながら映画は脚色されている。
実際、主人公の妹から父は映画のような暴君ではなかったという苦情が出ていたらしい。そしてそのピアニストが心を病んだのは、父が原因ではなく遺伝性のものだと主張した。そこでそのピアニストの真の姿を知りたくて、さっそくその手記を読んでみた。
2021年 読書#74
『すべては愛に 天才ピアニスト デヴィッド・ヘルフゴッドの生涯』ギリアン・ヘルフゴッド/アリッサ・タンスカヤ共著という本。
映画の『シャイン』を知らない人はどんな人物なのかわからないだろう。素晴らしい映画なので、もし観ていない人がいたら是非とも体験してほしい。簡単に書くと、神童といわれたオーストラリアのピアニストが、20代のときにイギリスの王立音楽院の在学中に心を病んだ。
素晴らしい成績を残していたけれど、その後は長期間を精神病院で過ごすことになった。その後病院からようやく出ることができて、再びコンサートピアニストとして成功していく過程を描いた作品。この映画の後半で登場する妻のギリアンが、この手記を書いた。
映画は素晴らしかったけれど、やはり事実のほうがすごい。ギリアンがデヴィッドに質問してきた答えを集めたものなので、彼の率直な気持ちがこの本に注入されている。ロンドンで心を病んだのは事実。だけどオーストラリアにいるときから、その兆候はあった。
遺伝的なものはあるかもしれない。でもやはりきっかけとなったのは、アメリカ留学が決まっていたのに父がそれをぶち壊したこと。映画では息子を手放したくないという理由だった。事実はもっと複雑で、父のピーターはユダヤ教のラビの息子だった。
だけど共産主義者だったので、ユダヤ人として生きてこなかった。貧乏のどん底暮らしをしながら息子にピアノを教えてきたのに、ユダヤ人の金持ちがデヴィッドの留学資金を集めたことに我慢ならなかった。自分が惨めに感じ、金持ちへの反発から留学を阻止したのが事実らしい。
父の心はどうあれ、デヴィッドが心を病み始めたのは、この出来事がきっかけだった。それでも父の晩年に二人は和解している。ただし、デヴィッドの心の闇はそう簡単には消えない。この本は映画と同じ出来事を紹介しながらも、デヴィッドがピアニストとして再出発していく過程が詳細に書かれている。
そんな奇跡が起きたのは、妻のギリアンの愛ゆえ。彼女なしにはデヴィッドが再びステージに立つことはなかった。これは確実。彼女と暮らすことで、デヴィッドは心にあった深い霧をようやく振り払うことができた。
もちろん完治したわけじゃない。薬を飲み忘れたら大変なことになるし、彼の奇行が消えたわけじゃない。でも病院から出た直後のデヴィッドは、人前でピアノを弾けるような状態じゃなかった。コーヒーとタバコの強烈な依存症で、たった数分でさえタバコを離すことができない。
その状態から大ホールで長時間のコンサートができるようになったのは、妻のギリアン、さらにこの夫婦を支えてきた人の多大なる努力があったから。そして何よりもデヴィッドという人物が、その人たちの想いに値する愛すべき存在だったから。
彼の奇行で最後まで消えなかったのは、演奏中に歌うこと。ピアノを弾きながら彼は歌ってしまう。これにはギリアンは相当苦労させられたよう。もし可能なら、ギリアンが彼をカムバックさせるためのエピソードも映像として観たかった。映画ではカムバックするシーンで終わっている。でも本当の感動ドラマは、その後の二人の生活に集約していたから。とても素晴らしい手記だったなぁ。
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