20年前、20年後の居場所
今朝のブログでも書いたように、アメリカの911テロから20年が経った。いまさらあのテロについて書くつもりはない。ただ20年という時間経過の速さにひたすら驚いている。
節目の年数として10年という感覚もあるだろうけれど、人間の場合は20年単位で節目をチェックすると面白いと思う。なぜなら日本人にとっては、いまでも20歳が成人だという印象が強く残っている。その20年後は不惑の歳だし、さらにその先にある還暦というのは、節目としてもより注目されている。
なぜこんなことを書いているかといえば、来年の寅年はボクの干支。すでに50代だと何度もブログで書いているので、48歳になるわけじゃない。ブログのプロフィールを見てもらうとわかるように、来年になると還暦を迎えることになる。まだ気持ちは20代なんだけれどwww
ということで911テロから20年ということで、ボク自身の20年ごとの節目を『居場所』という視点でチェックしてみた。珍しいことではないかもしれないけれど、ボクの場合節目で過ごしている自治体はすべてちがう。
生まれたのは京都市。中京区で生まれたことはわかっていて、もっとも古い本籍地は西京区の桂で桂離宮の近く。でも記憶にあるのは東山区の馬町というところで、少年から青年時代を過ごしたのは山科区。つまり引っ越しばかりしている。
そんな京都市生まれ京都市育ちの人間だけれど、20歳を迎えたのは京都市じゃない。大阪の大学を中退してから石川県の大学で過ごしていたので、20歳の誕生日は寮があった石川県の松任市で迎えた。それが生まれてから最初の20年。
その20年後は京都府の向日市で迎えている。初めて購入したマンションが向日市で、その当時は祇園の事務所を辞めて印刷会社の財務を担当していた。911のテロを知ったのはこのマンションにいたとき。
そしてさらに20年後の来年。おそらくいまの神戸市で還暦を迎えることになる。京都市で生まれ、松任市、向日市、そして神戸市という流れ。来年のことをいえば鬼が笑うかもしれないけれど、おそらくまちがいないだろう。
そうなると問題はこれから20年後。さてボクはどこでその瞬間を迎えるのだろう?
これはまったく予想がつかない。というのは20歳のとき、そして40歳のときも、それぞれ20年後にその場所にいることなんて想像もしなかったから。だからこれから20年後にどこで過ごしているかなんてボクの知ったこっちゃない。もちろんそのほうが面白い。
当面はいまのマンションを離れたくない。というのはミューナをこのマンションで見送ってあげたいから。いまは小康状態を保ってくれている慢性腎不全だけれど、いずれ覚悟するときがやってくる。だから引越しのストレスを与えたくないので、彼が人生(猫生)のほとんどを過ごしたいまのマンションで最後を迎えさせてあげたいから。
だけどその後はまったく分からない。妻との相談では、賃貸物件に移ることも検討している。できるだけに身軽に暮らし、かつ執着を減らすため、不動産を現金化することで財産の断捨離をしようかと思っている。ただ高齢者の賃貸はさまざまな問題があるので、いまのまま分譲マンションで暮らすという選択肢も考えておくべきだと思っている。
とにかく20年後のことなんて分からない。厳密にいえば、この世にいるかどうかも不確定。つまり20年後の居場所はどこの自治体にも所属していないかも。まぁ、それはそれで楽しみ。20年後には、あの世の先輩であるミューナと宴会をしているかもね。知らんけどwww
ブログの更新はFacebookページとTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。